色んなアンサー

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映画「処刑人」の見どころ

※目次

 

こちらの映画は、敬虔なカトリック信者2人による世に蔓延る「悪人達」を神の導きの元、抹殺していくバイオレンスアクション作品となります。

 

ダブル主演であるマクマナス兄弟を演じるは、兄コナー・マクマナス(ショーン・パトリック・フラナリー)と弟マーフィー・マクマナス(ノーマン・リーダス)となっております。

 

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この映画の見どころとしては、仲の良いマクマナス兄弟が魅せる息の合ったコンビネーションや殺人シーン、そして、怪優であるFBI捜査官のポール・スメッカー(ウィレム・デフォー)抜群のプロファイリング術と演技力でしょう。ちょっと話が反れてしまいますが、デフォーは私の好きなケヴィン・ベーコンに少し似てるんです(笑)

 

<個人評価点>

満足度☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆星7

<記事読了時間>

約5分

 

※1部ネタバレ有り

 

カトリック信者

 

ボストンのとある教会で神父の話を聞くコナーマーフィーのマクマナス兄弟。彼らはアイルランド系のカトリック信者でした。また、兄弟共にボストン郊外にある精肉工場で働き、同じ職場で働く人間達や交友関係から絶大なる人気を誇っておりました。

 

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そんなある日、行きつけのバーで仲間達と談笑中にマスターから「ロシアンマフィアに店をたため!」と脅されている事を知ります。実は、このバーはロシアンマフィアが経営するビルの一室を借りていたのです。そして、馴染みのイタリアンマフィアであるロッコという男と合流した後に・・・。

 

バーに問題のロシアンマフィア達が現れ、彼らから「早く店をたため!」と催促されるのでした。ここで、マクマナス兄弟とロシアンマフィア達によるバトルが始まり、マクマナス兄弟はバーを出た路地裏で自ら信ずるカトリック教の導きの元、悪人であるマフィア2人を殺害してしまうのでした。

 

無罪で釈放

 

翌朝、ロシアンマフィア2人の死体の元へ地元警察達が現場検証を開始します。すると後方からスーツを着たロン毛の男が現れます。その男とは、敏腕で知られるFBI捜査官のスメッカーでした。

 

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「この殺害は、大男の仕業である」と推理する地元警察に飽きれたスメッカーは、推理した男を子供扱いし、パシリにします。また、得意のプロファイリング術を駆使したスメッカーは、犯人の行動と心理を分析して殺害現場にあった銃創を発見し、殺害は2人によるモノであったと推理します。

 

その後、足が割れたマクマナス兄弟は警察署へ出頭し、スメッカーに尋問されます。5ヵ国語をスラスラと喋るマクマナス兄弟に驚愕したスメッカーでしたが、マクマナス兄弟もスメッカーの鋭い洞察力と推理力に「このスメッカーというおっさんは、かなりのキレ者だ!」と一目置いたのでした。結局、マクマナス兄弟は正当防衛に当たるとし、無罪で釈放される事となります。

 

「処刑人」として

 

ロシアンマフィア2人を殺害したマクマナス兄弟でしたが、世間では「悪人を懲らしめた兄弟」としてヒーロー扱いされるのでした。また、警察署で就寝中に見た夢の中において「悪人は、殺しても構わない」と神からの啓示を受けます。そして、敬虔なカトリック信者である兄弟はこの時から悪人を成敗する「処刑人」として本格的に始動していく事となるのでした。

 

そして、殺害したロシアンマフィアのボスの集合場所を掴んだマクマナス兄弟は、マフィアが所有していた武器庫へと潜入し、そこで強力な武器を入手します。また、映画のワンシーンにやたらと拘る兄・コナーの要望もあって「ロープ」も武器庫で追加入手するのでした。

 

その後、ボスの元へと向かったマクマナス兄弟は通気口からボスの部屋へと潜入を試みますが、まるで子供のじゃれ合いのように部屋への登場シーンに拘る兄と弟で喧嘩をしてしまい、その衝撃で通気口に穴が開いてしまった2人は、落下してしまう・・・と思いきや兄が入手したロープが偶然2人の足に絡まり、宙づりになってしまいます。しかし、2人はまるでメリーゴーランドのように旋回し、鮮やかにボスを含めたマフィア達を銃で処刑していくのでした。

 

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殺戮兵器が解き放たれる

 

ロシアンマフィアのボスを仕留めたマクマナス兄弟は、得意になってはしゃぎます。すると、ルームサービスに化けたイタリアンマフィアのロッコが突然現れ、彼もボスの命を狙いにきたと言い出します。しかし、後になってロッコは雇い主であるイタリアンマフィア(ヤカヴェッタ・ファミリー)のボスであるパパ・ジョーから捨て石にされた事が発覚するのでした。実際、ロッコには間抜けな面があり仲間内から「コメディアン」と揶揄されておりました。

 

その後、マクマナス兄弟はロッコを「処刑人」の仲間に加えます。また、自分を捨て石にされ怒り狂ったロッコは、レストランで捨て石にされた自分をあざ笑うマフィアの同僚達を抹殺します。続いて、自分をジョーに紹介したヴィンチェンツォ・ラパッツィという男にも彼が頻繁に通う風俗店に乗り込んで強襲し、殺害するのでした。そして、次々と起こる殺害事件に振り回されるスメッカーは、得意のプロファイリング術で犯人の殺害パターンと悪人のみ殺害されていく動機こそ的中させるのですが、肝心の犯人像が浮かんでこない為悪戦苦闘し、イライラを募らせるのでした。

 

3人の「処刑人」に部下達を次々と殺され追い詰められたジョーは、引退したマフィアの大幹部に「ある男を牢屋から解放してくれ」と頼み込みます。その男とは、イル・ドゥーチェでした。彼は、殺しの達人で頼まれた依頼は全てこなしてしまうとんでもない奴だったのです。そして、ついにドゥーチェという名の殺戮兵器が解き放たれ、「処刑人」達との激しいバトルが繰り広げられるのでした。また、そのバトルによってロッコの指が吹き飛び、後にその指がバトル終了後に現場に赴いたスメッカーの元へと渡る事となるのです。

 

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ついに、犯人像が浮かび上がったスメッカー。しかし、ここでスメッカーは苦悩する事となります。スメッカーは、一体何に悩んだというのか?そして、イル・ドゥーチェの意外な正体とは?

 

続きは、この先にあります( ゚Д゚)

 

長曾我部元親・信親親子の悲劇

※目次

 

強きが勝ち弱きが負ける戦国時代において、滅ぼされてしまった大名達が数多く存在します。前回記事で上げた三好家も絶大なる権力を擁しながらも時代の波と言うモノに飲み込まれてしまいました。他にも、武田家・北条家・今川家そして・・・長曾我部家各地の有力大名達が次々と滅んでいくわけです。

 

今回の記事では、そんな有力大名達の中でも見事に統制された一領具足衆を率いて四国を制圧した長曾我部元親(通称・土佐の出来人)と嫡男・信親、そして戦国大名・長曾我部家の滅亡について簡単にまとめていきたいと思います。

 

長曾我部元親

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土佐(現在の高知県)で父・国親から家督を受け継いだ名将・元親は、中国の覇者である毛利元就と同様に養子縁組を巧みに利用し、その地盤を強固なモノにしていきます。吉良家には猛将・親貞香宗我部家には知将・親泰といった実弟達を送り込んで。そして国親が発案した一領具足衆を率いて西は一条家、東には衰退した三好家と奮闘し、その領国を奪い取っていくのです。

 

しかし、四国統一に乗り出した元親の身に運命とも思える時代の荒波が押し寄せてくるのです。それは、織田信長の存在でした。その時の彼は、畿内を完全に掌握した「天下人」圧倒的な軍事力と国力を擁していたのです。当初の元親は、信長に対して徹底抗戦を挑みますが信長にびびって呼応した各地の反乱軍の鎮圧や讃岐(現在の香川県)の一部を信長に奪われてしまう等、戦況は劣勢に立たされてしまいます。そして、信長に追い込まれた元親でしたが、かの有名な「本能寺の変」によって信長が明智光秀に討たれた事により、元親は危機を脱するのでした。

 

その後、信長の突然の死によって生じた畿内の混乱に乗じて再び四国統一に乗り出した元親は、中富川の戦いで宿敵・十河存保を破って阿波(現在の徳島県)を手に入れそのまま勢いに乗って四国全土をほぼ手中に治めるまでに達しますが、再び元親の身に時代の荒波が押し寄せてくるのです。

 

今度は、豊臣秀吉の存在でした。そして、秀吉に伊予と讃岐の割譲を求められた元親はそれを断り信長の時と同様、秀吉に徹底抗戦の構えを見せますがその圧倒的な軍事力と波状攻撃の前についに降伏を決意します。結果、伊予(現在の愛媛県)、讃岐、阿波を秀吉に没収され土佐一国にまで減封されるのでした。それからの元親は、豊臣家に忠節を尽くし長曾我部家の永続と発展に尽力しますが、ある事がきっかけで長曾我部家崩壊が始まってしまいます。それは、寵愛しその将来を嘱望した嫡男・信親の死によるモノでした。

 

長曾我部信親

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幼き頃から聡明で父・元親に寵愛された信親は、父が畿内から招聘した武人や学者達から武術と英才教育を学び、やがては身長が180センチ以上のイケメンで知勇兼備の若武者といった完璧な人間へと成長します。また、そんな信親の噂を聞きつけた信長から「信」の文字を与えられ、自らの養子に迎えようとされた程でした。

 

しかし、信親の運命を決定付ける出来事が起きてしまいます。それは、豊臣家の九州征伐(島津家)によって起こった島津家久との戦い「戸次川の戦い」において、信親が戦死してしまうのです。元親・信親親子は、豊臣家の讃岐国主・千石秀久の軍に招集されていました。島津家の戦い方を研究していた元親・信親親子は、島津家久が得意とする肥前の熊・竜造寺隆信を死に追いやった「釣り野伏せ」の戦法を看破しており、事前に秀久に警告しておりました。しかし、戦功を焦る猪武者・秀久はその警告を無視するのです。

 

そして、始まった戸次川の戦い・・・。

 

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元親・信親親子の予想通り、島津家久の必殺「釣り野伏せ」が発動され千石隊は壊滅状態に陥ってしまいます。そんな中、信親隊は戦場に取り残されてしまい多数の島津兵を道連れにして全滅するのでした。そして信親の死を知った元親は、信親と共に討ち死にしようとしますが、家臣達による懸命の制止によって土佐へと帰還するのでした。その後、島津家重臣・新納忠元の気配りで元親の亡骸を引き取った元親は、息子の変わり果てた姿を直視出来ず泣き崩れたそうです。そして、ここから元親の精神崩壊が始まってしまうのでした・・・。

 

一領具足とは

 

「死生知らずの野武士なり」と評された一領具足は、言わば「兵農分離」前の武装農民や地侍を中心に編成された戦闘集団であり、半士半農に近いモノがあります。

 

概要としては、平時には田畑を耕し戦の声がかかるといつでも出陣出来るように傍に一領(ひとそろえ)の具足(武器や甲冑)があったそうです。また、日ごろから田畑を耕す事によって体は健康的であり、近くにいる同様の人間とコミュニケーションを重ねる事によって戦での連携が取れやすくもなっているという利点がありました。他にも、平野が少ない四国において屯田の役割も担っており、通常の武士が行う日常業務等も免除されていたのでより農事に従事する事が出来たのです。

 

戦国大名・長曾我部家の滅亡

 

信親を失った事によって元親は、今までの覇気を失い精神崩壊が始まってしまいます。また、戸次川の戦いでは信親も含めこれからの長曾我部家を支えていくであろう若い衆達も一気に失ってしまうのでした。やがては、次男の親和や三男の親忠を出し抜いて四男の盛親に家督を決めるといった荒れぶりとなります。さらに、それを諫めようとする者達を次々と粛正していき、家中はボロボロになってしまうのでした。

 

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しばらくして元親が死んだ後、かの有名な「関ケ原の戦い」が始まってしまいます。そして西軍に加担した盛親は、西軍が敗れ徳川の天下となった時に改易され土佐を追われてしまいます。ここに、一時は四国の覇者にまで昇りつめた長曾我部家が戦国大名として滅亡してしまうのでした。その後、土佐は山内一豊が支配していく事となります。

 

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 ※戦国時代の前記事

 

あまり知られていない三好長慶の「三好政権」とは?

※目次

 

居城の岐阜城で「天下布武」を掲げ、名将・明智光秀の根回しから実現した織田信長の京都上洛。そして、ここに始まった「織田政権」・・・。

 

実は、そんな織田政権の前に1つの巨大政権があった事はみなさんはご存知でしょうか?その巨大政権とは、三好長慶が築き上げた「三好政権」です。また、織田信長と言えば「天下人」なる言葉をよく耳にすると思われますが、三好長慶も織田信長が飛躍する前の「天下人」であったと言える程の力を持っていたのです。

 

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今回では、そんな「三好政権」の推移と崩壊について密接に関連していた人物達を記事にしていきたいと思います。

 

※後述に載せた松永久秀には、諸説が多いです。というのは、徳川政権の中枢にいた「黒衣の宰相」南光坊天海は、明智光秀だったという説徳川家康は、関ケ原で死んでしまっていたという説・豊臣秀頼は、大阪城落城後も生きていたという説等、歴史にはifや創作が付き物であるように松永久秀にも三好家中で暗躍をしたという説もあれば、実は三好家中の中でも群を抜いた忠臣であったという説もあります。しかし、圧倒的に三好家中で暗躍した説が多いので、こちらの記事もその方向でまとめていきたいと思います。

 

三好長慶とは

 

山城国(現在の京都府の中心部)守護代の三好元長の嫡男として生まれます。父・元長は主君である細川晴元の重臣であり、本国の阿波(現在の徳島県)と山城に勢力を伸ばしていた実力者でした。しかし、有能な元長を警戒する主君・晴元の画策によって粛正されてしまうのでした。

 

その後、後難を怖れた子・長慶は母と共に本国である阿波へと帰還し、再起を図ります。やがて長慶は知勇兼備の名将へと成長し、阿波・淡路を中心に勢力を強めていきました。そして、父の仇である細川晴元や政敵であった畠山高政らを駆逐し、室町幕府13代将軍の足利義輝を傀儡化し、三好政権を樹立したのです。ちなみに、三好家の全盛期は、摂津・河内・和泉(現在の大阪府)、淡路、阿波、讃岐(現在の香川県)、播磨(現在の兵庫県)、山城、丹波(現在の京都府の福知山辺り)、大和(現在の奈良県)、若狭(現在の福井県の敦賀辺り)を占め、畿内の約半分以上を支配下に置いていたのでした。

 

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しかし、長慶は非常に優れた能力の持ち主でもありましたが、優柔不断で決断力に欠ける人物でもあったのです。分かりやすく三国志で例えるなら能力は魏の曹操、性格は河北の袁紹に近かったと言えるかもしれません。三好政権の崩壊の始まりは、今まで長慶を支えてきた優秀な弟達や実の息子が次々と死んでしまった事にあります。その背景には「乱世の梟雄」として有名な松永久秀が関係していました。また、長慶は相次ぐ不幸が重なって病死してしまうのです。

 

三好長慶を支えた優秀なブレーン

 

長慶には、実弟に三好実休(義賢)・安宅冬康・十河一存、そして嫡男の三好義興という優れた人物達がおりました。

 

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三好実休(義賢)

 

三好元長の次男。

 

兄・長慶に成り代わって本国の阿波を担当し、三好家の四国方面の行政や軍事を司っておりました。また、歌や茶道にも優れ教養面でも優れた能力を発揮します。言わば三好家の「頭脳」的な役割を担っていたのです。しかし、久米田の戦いで畠山高政らの残党の反撃に遭い、兄より先に戦死してしまいます。

 

安宅冬康

 

三好元長の三男。

 

当時無敵を誇っていた淡路水軍を統括しており、大阪湾や鳴門海峡で主に公安を担当しておりました。彼も歌や茶道に長けていたので教養面が優れ、心優しい性格でもあったので民や家来達に人気があり、巷では「仁将」と呼ばれる程の人物でした。ちなみに、冬康と義興は松永久秀を警戒しておりました。

 

十河一存

 

三好元長の四男。

 

讃岐の支配を任されていた一存は、三好家中屈指の猛将で三好家の軍事の中心人物でもありました。また、長慶を支えたブレーンの中で1番先に死んでしまい、一存がいなくなった事で三好家の軍事力が一気に衰退します。一存の死が三好政権崩壊の始まりだったのでした。

 

三好義興

 

三好長慶の嫡男で次期後継者。

 

長慶の子に恥じない知勇兼備の名将であった義興は、三好家の将来の跡継ぎとして嘱望されておりました。しかし、彼も父に先立って死んでしまうのです。その死によって長慶に与えたダメージは計り知れず、さすがの長慶も病んでしまうのでした。義興は、生前に冬康と共に「松永久秀を追放するように」と長慶を説得しておりました。しかし、長慶はこれを却下します。

 

三好ブレーンが亡くなった順番

 

十河一存⇒三好実休⇒三好義興⇒安宅冬康

 

三好政権の崩壊

 

三好政権は、室町幕府の体制をそのまま受け継いだ武家政権でした。また、将軍を傀儡化し幕政を牛耳り、主に全国の諸大名に位を授けたり懐柔したりして三好家に有利に事が運ぶように利用しておりました。しかし、相次ぐ三好ブレーンの死によってシステムが崩壊してしまいます。というのは、三好政権そのモノが長慶の個人的な才能と優秀なブレーン達によって構成されていただけだったので、変えが利かないと壊れてしまう非常に惰弱なモノだったのです。

 

そして三好政権を樹立した長慶の死後、実権を握った三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)は、反三好勢力によって次第に追い込まれてしまい、傀儡の対象であった足利義輝を殺してしまった事により、さらに事態を悪化させます。義輝の後を継いだ室町幕府14代将軍・足利義昭が織田信長の庇護を受けて上洛してきたのです。そして追い込まれた三好三人衆は、織田信長との戦いに敗れ三好政権は滅んでしまうのでした。

 

松永久秀の暗躍

 

数々の謀略で三好家を崩壊に導いた「乱世の梟雄」こと松永久秀は、その持ち前の能力で主君・三好長慶に気に入られ三好家中で次第に頭角を現していき、やがては三好ブレーン達に次ぐ存在にまで昇りつめます。また、野心家である彼は三好家を我が物にする為にも、三好家中で絶対的な力を持つブレーン達を駆除しようとその自慢の謀略を駆使する事になります。

 

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軍事の中心人物であった十河一存は、湯治後に落馬で死んだとされてますが松永久秀が毒殺したという説もあります。そして、三好実休は戦死してしまいます。残るは、冬康と嫡男・義興となった久秀は、彼らが長慶に忠言した事により一旦三好家を追放されそうになりますが、長慶が思いとどまった事で首が繋がったのでした。そして、嫡男・義興が病死します。この義興病死に関しても久秀が毒殺したという説があります。

 

そして、人心を掌握する冬康が独立を画策していると久秀に焚きつけられた長慶は、冬康を自害へと追い込んでしまいます。この時すでに相次ぐ弟達の死と義興の死によって長慶の精神崩壊が始まっていたとされています。やがて、長慶は失意の末死んでしまうのでした。この有様を見て久秀は高笑いを浮かべ「三好家を自分の物にしたぞ」と喜ぶのでした。しかし、そんな悪人にも「正義の鉄槌」が下されます。足利義昭を擁立して上洛した織田信長に一旦仕えるモノのやがて謀反を起こし、名茶器「平蜘蛛」と共に焼死してしまうのでした。

 

以上となります。

 

一度は栄華を極めた三好家も最後はあっけなく滅んでしまった切ない話になりますが、確かに三好長慶は「天下人」であったと伝えたいと思います。大河ドラマで「三好政権」やらないかな・・・。来年の大河ドラマである長谷川博己の明智光秀は、ぶっちゃけ楽しみにしております(笑)

 

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 ※戦国時代の前記事