色んなアンサー

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大河ドラマ 風林火山 49話

※目次

 

時は、1561年。第四次川中島の戦い・・・。

 

千曲川を挟み、両軍にらみ合う武田軍と上杉軍。その混着状態を打ち破るべく武田軍の軍師・山本勘助が発案した「啄木鳥の戦法」を発動した処からこの戦いの火蓋が切って落とされるのであった・・・。

 

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しかし・・・。

 

宇佐美定満が看破

 

啄木鳥の戦法とは、武田軍別動隊(馬場信春や高坂弾正等)に命じ、妻女山に陣を敷く上杉軍の本陣の背後を急襲させ、武田信玄率いる本陣の部隊と挟撃する作戦でした。また、戦場が深い霧に包まれた事もあって別動隊を編成するのに絶好の機会でもあったのです。

 

しかし、上杉軍の軍師である宇佐美定満は戦場に包まれた霧と武田本陣から上がる炊き出しの煙を見て啄木鳥の戦法を看破しました。さらに、宇佐美からの助言を聞いた上杉謙信は、霧を逆に利用して音を立てずに静かに妻女山を下山し、武田本陣に突撃を仕掛ける事を決断します。

 

その突撃隊長に任命されたのが「越後七郡で彼にかなうものなし」と称された上杉家中屈指の猛将・柿崎景家でした。絶体絶命の武田信玄・・・。

 

柿崎景家のカッコよさ

 

旗にはかかり乱れ龍の「龍」の文字、陣形は上杉軍必殺の車懸かりの陣、采配するのは柿崎景家と上杉軍がこの一戦に掛ける魂の一撃が込められておりました。

 

深い霧の中、突如自分達の前に現れた上杉軍・・・。さすがの勘助も「しまった!作戦が読まれた!」と言い放ち、深く動揺してしまいます。そんな勘助を見て信玄は、叱咤しました。平静を取り戻した勘助は、直ちに鶴翼の陣を敷いて上杉軍に応戦しますが、本気の上杉軍にかなうはずもなくたちまち劣勢に立たされてしまうのでした。

 

youtu.be

※引用

 

兵の少なさに若干物足りなさを感じてしまいますが、武田信繁のシーンと服部隆之氏の音楽、そして38:58「あれなるは、武田信繁ぇぇ!いざ!打ち取れぇぇぇ」柿崎景家がもうやばいです。カッコよすぎて鳥肌が立ってしまいます(笑)この柿崎景家の猛攻を受けた武田信繁は、ここで最期を迎えてしまいます。

 

武田信繁を失った

 

第四次川中島の戦いは、前半が上杉軍の勝利で後半は遅れて駆け付けて来た武田別動隊との挟み撃ちによって武田軍の勝利となっておりますが、武田軍にとって勝敗よりもこの戦で実質上の武田ナンバー2である武田信繁を失った事が相当に痛かったと思われます。

 

武田信繁は、信玄の実弟であり武田軍の副将でありました。また、文武に長け優れた人格者でもあったため、信玄を含め多くの家臣から絶大なる信頼と人気を誇っておりました。豊臣秀吉で例えるなら秀吉と弟の秀長に匹敵するくらいと言っても過言ではないと思われます。

 

もし、武田信繁が生きていたら信玄の嫡子である義信事件はともかく、少なくても信玄死後の武田家で子の勝頼と譜代家臣達との分裂は無かったかもしれませんし、長篠の戦いにおいては逸る勝頼をただ1人静止する事が出来たかもしれません。ただ、武田家の財務上の問題であったり織田家との国力差を考えたら、例え長篠の戦いが無かったとしても武田家のピンチである現状に変わりはないと思われますが・・・。

 

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※戦国時代の前記事