※目次
乱世の始まり篇・・・。
第13話 項梁の決断
※蕭何
蕭何(しょうか)は、罪を犯した劉邦が沛国(はいこく)に入れるよう県令を説得し成功したので劉邦宛に手紙を送りました。しかし、県令が突然約束を違えたのでした。そして蕭何は県令からの追っ手から逃れ、劉邦一味と合流する事となります。その後、追い詰められた劉邦一味は沛国に強襲を仕掛け、県令を殺して無事生還する事に成功したのでした。
一方、反秦を掲げる楚の項家の元へ江東の各地から着々と勇士が集まっていました。その中には、後の楚の歴戦の勇士となる鍾離眜(ショウリバツ)・希布・龍且(りゅうしょ)らの姿があります。また始皇帝を失った秦は滅亡の一途を辿っており、腐敗していく秦の都・咸陽(かんよう)の実情を知った項羽は「今、立ち上がるべき!」と叔父の項梁(こうりょう)に蜂起を促しました。
項梁も実は項羽に内緒で密かに楚の勇士達を集めて来たる蜂起に備え着々と力を蓄えていたのです。そして、ついに項梁は決断しお世話になっている会稽(かいけい)の秦の県令を項羽に殺害させ、独立を果たしたのでした。
第14話 皇帝の影
※曹参
李斯(りし)と同じく丞相の位に就き、人臣位を極めた秦の宦官・趙高(ちょうこう)は、自身を始皇帝の頃から皇帝の影であったと自称します。宮廷に仕える女官達に悪さしないよう去勢されてから宮中に入る宦官は、周りからは人間扱いされておらず表舞台に立つことがありません。
そうした中、趙高は自身の悪知恵を頼みに始皇帝を上手く取り込んでその懐へと入り込むことに成功していたのでした。結果、始皇帝の遺言書を改ざんして末子の胡亥(こがい)を二世皇帝とし、自身の思うがままに朝廷を支配していたのです。やがて秦は、趙高の暴政によって忠臣達の粛清や民衆達への重い労役と税金が重なって国が大きく傾いてしまい、各地で反乱を招いてしまう事となります。
その反乱を大きくしたのが陳勝(ちんしょう)・呉広(ごこう)の乱でした。各地で陳勝と呉広を中心に反乱軍が勃発してしまいます。当然、都にいる趙高の耳にも入ってきます。しかし、趙高は要らぬ疑心を持たれないよう皇帝の胡亥には「小規模の盗賊共の反乱です!」と虚偽の報告をし、事実を隠蔽していたのでした。
第15話 沛公となる
親友の蕭何(しょうか)と共に沛国(はいこく) の県令を倒した劉邦は、そのまま県令の任に就き自らを沛公と名乗る事にしました。さらに、二度と会えないと思っていた妻の呂チら家族との再会も果たします。その中にはかつて村の水源を巡って争った事のある雍歯(ようし)の姿もありました。
しかし、相次ぐ反乱で混乱が続く秦の国の内情であったり蕭何やハンカイらの後押しもあってか劉邦は独立を考え始めます。また、弱小ながらも1つの国としての長となった劉邦は、蕭何の献策を取り入れただのゴロツキ共の集団であったのを1つの軍団組織へと改変し、村の略奪や人殺しをしてはいけないといった規律を定めました。そして、自らを大将とし副将には雍歯を任命したのです。
当然、劉邦麾下の武将である樊噲(ハンカイ)・盧綰(ロワン)・周勃(しゅうぼつ)・夏侯嬰(かこうえい)・曹参(そうしん)らといった面々は、その任命を不服とし偉そうに振る舞う雍歯と度々喧嘩をしてしまいます。何故、劉邦は荒くれ者の雍歯を副将に任命したのでしょうか・・・。
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