色んなアンサー

色んなアンサー

筆者であるnaoraouが色んな分野に挑戦し、私なりの答えを出していくブログです!

大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第22・23・24話を斬る

※目次

 

乱世の始まり篇・・・。

 

f:id:naoraou:20190717201853j:plain


 

第22話 范増の策

f:id:naoraou:20190816204530j:plain

※張良(三国志では、魯粛役)
 

ある日、項羽が馬に乗って街を探索していると白髪の爺さんから突然、声を掛けられます。「お若いの。馬の乗り方もわからんのか?」と。対して項羽は「ご老人!いきなり何ですか?私は、急いでいるので貴方のお相手は出来ません」と言って突き放します。すると、その老人から「お主に天下統一の策を献じて差し上げよう」と言われます。しかし、項羽は老人の世迷言と受け取ってその場を去ったのでした。

 

そして、項羽は幕舎へと帰り叔父の項梁(コウリョウ))に「街で変な爺さんに会いました」と告げます。すると、項梁は「その老人は、かの有名な策士である范増(ハンゾウ)様に間違いない!ずっと探していたのだ!」と言い出し、弟の項伯(コウハク)と項羽を再度范増の元へと訪問させたのでした。

 

范増は、元々気難しい性格である為項羽のそっけない態度に当初は苛立ちを見せていたのですが、項伯の取り成しによって以後楚軍の軍師として仕える事となります。また、范増が出した最初の策は「陳勝と呉広が反乱に失敗したのは、大義名分が無い為民心を得られなかった。項梁将軍は、秦に滅ぼされた楚の将軍の子孫なのだから、楚王の子孫である懐王(カイオウ)を探し出して楚の新しい王として擁立すれば秦打倒の大義名分と民心が得られる」といった内容でした。

 

そして、早速范増の策を取り入れた項梁は、羊飼いで生計を立てていた懐王を探し出して彼を楚王に擁立して天下に号令し、秦打倒の大義名分と民心を得る事に成功し絶大なる権力を手にする事となるのです。しかし、その傍ら後の項羽の政敵とも言える宋義の姿もありました。

 

第23話 2つの出会い

f:id:naoraou:20190816204850j:plain

※韓信
 

項梁が楚王を擁立した頃、陳勝が死んだ事によってその後釜に座った景駒(ケイク)という男も楚王を勝手に自称しておりました。項家はもちろんそれを良しとせず、景駒討伐の軍を編成します。

 

一方その頃、城の留守を任せた副将の雍歯(ヨウシ)に突然裏切られた劉邦は、雍歯を討伐する為にも援軍の兵を借りに景駒の元へと向かっておりました。その道中でかつて始皇帝の暗殺に失敗し、その名を天下に馳せた韓の宰相の子孫・張良と彼が率いる義勇軍と偶然接触する事となります。後の劉邦の覇業を支える天才軍師・張良との出会いでした。そして劉邦と張良は意気投合し、行動を共にする事となるのです。

 

しかし、景駒の城には項羽軍の旗が既に立っていたのでした。迅速な項羽軍によって景駒はすでに殺されていたのです。この時、劉邦は初めて生涯の天敵となる項羽と顔を合わせる事となります。張良と項羽・・・。劉邦にとって運命的な2つの出会いがここにありました。

 

第24話 項梁軍に合流す

 

貴族育ちの項羽にとって劉邦はただのゴロツキ達の親分でしかありませんでした。そして、項羽は劉邦を見下して仲間達と共に馬の厩舎に駐屯するように命じました。劉邦達にとっては耐えられない屈辱です。

 

当然の如く盧綰(ロワン)や樊噲(ハンカイ)らを中心に不満が爆発してしまいます。しかし、劉邦は「力がない我らは、ここで耐え凌ぐしかない。項羽に好感を抱いてもらえるように日々の行動を慎まなければならない」と皆に諭しました。さらに「今は、強大な力を持ち義侠心にも厚い項梁の元で落ち着けば安心である」とし、項梁軍に合流する事を決断します。

 

しかし、現実は甘くありませんでした。建前では項梁に歓迎されるも元々農民集団を主体とする劉邦軍を戦力として見ていない項梁にとって劉邦などどうでも良い存在だったのです。また、項羽の方針によって劉邦軍は常に先鋒を担当する位置付けにされてしまい、捨て石同然の扱いになってしまったのでした。

 

www.naoraou.com

※楚漢戦争の前記事

 

 

www.naoraou.com

※楚漢戦争の次記事