色んなアンサー

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第31・32・33話を斬る

※目次

 

義兄弟の誓い編・・・。

 

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第31話 虞子期との再会

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※樊噲(三国志では、張飛役)
 

楚の陣営内で慌ただしい動きがある中、秦の名将・章邯(ショウカン)は趙の本拠地である邯鄲(カンタン)を陥落させ、逃げ延びた趙王が籠る鉅鹿(キョロク)にて各地の反乱軍を終結させ、一網打尽にしてしまおうと画策します。また、王離や蘇角といった秦の将軍達も章邯に呼応しました。

 

王離と言えば項梁の父である項燕を殺した王翦(オウセン)の孫に当たる人物で項羽からすれば祖父の仇でもあります。趙王を補佐する張耳(チョウジ)や外で秦軍の襲来に備える陳余(チンヨ)らも章邯に恐れおののいて各諸侯へ救援の死者を飛ばします。こうして項羽と章邯達との闘いが刻一刻と迫ってくるのでした。

 

項羽はその頃、虞子期と念願の再会を果たす事となります。また、虞子期を虞姫の元へと連れて行き、離れ離れになっていた兄妹が再会を果たした事によって虞姫を安心させました。ところが、兄妹の両親の仇である項狄(コウテキ)は、虞姫と付き人との会話を盗み聴きし、自分が虞姫の仇敵である事を知り趙へと亡命してしまうのです。それを知った項羽は、兄妹の仇討ちを果たす為に虞子期と虞姫を連れて項狄の後を追ったのでした。

 

第32話 懐王との約束

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※周勃
 

項狄を追い、そして追い詰めた項羽。項狄とは、戦場で苦労を共にした主従の関係を越えた戦友でもありました。お互いの間で何とも言い表し難い空気に包まれる中、項羽を目にした項狄は楚人としての誇りと虞家の両親を殺した罪悪感を胸にその場で自害し果てるのでした。

 

項羽と虞姫は、その亡骸を拾って墓に手厚く葬り、戦の厳しさと人間の儚さを深く心の奥底に刻んだ虞姫はここに初めて項羽を生涯に渡って愛し通す事を決意したのでした。一方、楚の陣営内では勝手に陣営を飛び出して趙へと赴いた項羽に罰を課す様に宋義から進言された懐王は、宋義の息子・宋襄(ソウジョウ)を項羽への詰問の使者として赴かせました。

 

しかし、間に范増が入り上手く仲介したので項羽が罰せられる事はありませんでした。ただ、宋義は立て続けに項羽を攻め立てます。「趙が各地に救援を求めているのでこの際に、項羽の勢力を一気に弱体化させるべきだ」と懐王に進言し、自らが上将軍、項羽が次将軍、范増が末将軍となって趙への援軍部隊の総大将となり、楚軍での実権を握る事に成功したのでした。

 

宋義に影響され同じく項羽を警戒する懐王も「秦の本拠地がある咸陽(カンヨウ)に先に入った者を関中王にする事を約束する」として、劉邦を別動隊の大将に任命し咸陽方面へと向かわせます。その狙いとは、中原に駐屯する秦軍を分散させる事と対項羽に備えていざとなれば劉邦を頼れるように仕向けたといった思惑がありました。

 

第33話 宋義の罪

 

懐王の命を受け咸陽へと向かった劉邦軍でしたが、後続部隊で異変が発生します。それは、劉邦を警戒して先手を打っていた范増が魏王の魏豹(ギホウ)に使者を送り「秦軍と魏軍とで劉邦軍を挟み撃ちにしろ!」といった陰謀の影響です。しかし、劉邦はおそらく范増の策であろうと予測し、軍を反転して魏軍を壊滅させ後顧の憂いを消し去ったのでした。

 

その頃、宋義が率いる楚の主力部隊は趙との国境付近で駐屯したままその場から動こうとはしませんでした。そして、駐屯してから10日余りが過ぎた頃、楚の陣営内では食糧不足の事態に陥っているにも関わらず、宋義だけが各諸侯の使者を招いて日々宴を開いていたのです。それを知った項羽は、怒りが心頭して宋義がいる幕舎へと突入しましたが、言葉巧みに宋義に諭されてしまいその場を後にしたのでした。

 

イライラが募る項羽。しかし、ある話を耳にしてから状況が一変します。実は、宋義が斉国と便宜を図って息子の宋襄を斉の宰相に抜擢してもらおうとしていたのでした。つまり、楚にとって売名行為だったのです。項羽は、すぐさま剣を携えて宋義の幕舎へと入り、宋義を殺害してしまいます。そして、騒然とする兵士達に「宋義は、斉に売名行為を働いていたので懐王の密命を受け、ここに誅殺した」と言って、皆を納得させたのでした。

 

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