※目次
楚漢の激突編・・・。
第55話 彭城占拠
※司馬欣
項羽討伐の兵を彭城に向けた劉邦の元へ今までどの諸侯にも与せず、中立を保っていた梁の彭越が3万人の兵を連れて劉邦陣営に加わります。荒くれ者の集合体である彭越軍を見て不安に駆られた張良の忠告を無視して。一方、趙の張耳がこれを機と見た陳余の軍勢に攻め立てられ、劉邦陣営に逃げ帰ってしまいます。
陳余は、元々支配していた代に張耳から奪い取った領地も加わって漢軍としては侮れない存在となっていたので劉邦は、陳余と友好関係を築く為にも討伐軍への参入を呼び掛けました。すると、陳余が「張耳の首を届けてくれたら漢軍に合流しよう」と言ってきたのです。劉邦は、張耳と義兄弟の契りを交わしているので殺せる訳がありません。
そこで劉邦は、側近の夏侯嬰(カコウエイ)に命じて張耳に似た人物の首を陳余に差し出します。首が偽物とは知らずに歓喜する陳余。その後、陳余までもが劉邦陣営に合流する事となり、漢軍は総勢56万人の大軍となったのでした。そして、彭城を取り囲む漢軍。彭城を守るは、項羽の軍師である阿父・范増でした。
しかし、漢軍はあまり攻勢を強めようとはしませんでした。それは、項羽が救援に戻ってくるところを挟撃しようと韓信が画策していたからです。范増は、韓信の狙いを看破してわざと彭城を抜け出し、漢軍に彭城を占拠させました。こうして彭城を占拠する形となった劉邦と各諸侯達は、偽りの勝利に酔いしれてしまいうっかり羽目を外してしまうのです。あっさりと落ちた彭城と項羽の来襲を懸念した韓信は、劉邦に再三に渡って「今すぐ彭城から撤退するべきです」と忠告しますが、聞き入れてもらえません。仕方なく韓信は、独断で2万の兵を引き連れて彭城郊外に陣取り、項羽の来襲に備えたのでした。
第56話 東からの来襲
※董翳
一方、彭城陥落の報せを聞いた項羽は、虞子期の「斉を平定してから彭城を取り返すべき」との進言を取り下げ「劉邦など少人数でも勝てる」と彭城攻めを強硬します。一番の理由は、彭城に残していた愛する妻・虞姫の安否が掴めないからでした。
その頃、56万の大軍を擁し項羽の本拠地である彭城を落とした劉邦は、すっかり有頂天となり余裕綽々です。同じく各諸侯達も毎日酒浸りの生活を送っており、軍全体が緊張感0の状態でした。韓信以外でも張良や陳平らが項羽の来襲を懸念し、劉邦に忠告しますが、全く聞き入れてもらえません。さらに、劉邦が招いた宴の席で張耳と陳余が対面してしまうといった失態を劉邦は犯してしまいます。
当然、死んでいると思っていた張耳が目の前にいると分かった陳余は激怒しますが、劉邦が陳余に代と張耳から奪った領地を与え、張耳には代わりに肥沃な河内の領地を与えるとしてその場を収拾したのですが、陳余に鬱憤が残ってしまうのでした。
そんな中、項羽の進軍ルートを模索していた韓信は「大軍では進めない彭城の東側にある小道からは、攻めてこないであろう」と予測し、彭城の北側に伏兵を配置します。しかし、戦慣れした項羽は「兵法は、自分で作るモノだ」と豪語して周囲の反対を押し切って少人数のみで東側から彭城を攻める事を決断しました。彭城の南側で布陣していた范増も項羽の機転を信じて南側に攻撃を仕掛けます。やがて、裏をかかれた韓信は項羽と范増の挟撃を許してしまい、彭城は陥落してしまうのでした。
第57話 竜の腕輪
東と南から楚軍が彭城内部へと突入。楚軍の突然の来襲に慌てふためく劉邦は、持っているモノを全て放棄してわずかな側近達と共にかろうじて脱出に成功するのでした。項羽に裏をかかれた韓信は、劉邦への救援を後回しにして兵の損害を軽くする為に守備的な陣形である方円の陣を敷いて項羽の攻撃に備えますが、奮闘虚しく敗北してしまうのです。
彭城を劉邦から取り戻した項羽は「劉邦を捕まえた者には、千戸侯の位を授ける」と言って劉邦へ追っ手を差し向けます。対する劉邦は「まさか彭城の近くには逃げないであろう」と項羽の裏をかいて故郷の沛へと逃げ込んだのでした。しかし、50万の兵を一気に失った事と自分が油断した為に項羽に大敗してしまった事が劉邦に大きな精神的ダメージを与えてしまうのです。
その頃「劉邦が彭城を占拠した」と報せを聞いて彭城へと向かっていた劉邦の父と呂雉らは、彭城から逃げ出してくる敗残兵を見て劉邦の敗北を予見し、再び故郷へと帰ります。しかし、劉邦の追っ手を任された将軍・龍且(リュウショ)が故郷へとやってくるのでした。逃げ場のない呂雉らは、劉邦の愛人・曹氏の家へと逃げ込みますが・・・。
劉邦が自分の愛した女性に腕輪を渡す習慣を知っていた龍且は、曹氏が身に着けている竜の腕輪を見て劉邦の女であると直感したために劉邦の父・呂雉・曹氏ら全て龍且によって捕縛されてしまい、項羽の手に渡ってしまうのでした。おそらくこの時が劉邦の最大のピンチであったと言えるかもしれません。
※楚漢戦争の前記事
※楚漢戦争の次記事