色んなアンサー

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第58・59・60話を斬る

※目次

 

楚漢の激突編・・・。

 

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第58話 故郷への逃走

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※夏侯嬰

 

実の父親や妻の呂雉(’リョチ)らが項羽に連れ去られた事などつゆ知らず、劉邦は故郷の沛県へと辿り着きます。また、盧綰(ロワン)や樊噲(ハンカイ)、張良や陳平らも劉邦と合流しました。しかし、張良の「滎陽(ケイヨウ)に戻って軍を立て直すべき」との進言を退け、劉邦は沛県から一歩も動こうとはしませんでした。

 

それは、劉邦が彭城での大敗によって全ての自信を失い、心身共に疲れ切ってしまったからです。挙句の果てには「俺は、もう王様ではない。沛の丁長だ。ここに居た頃は、何もかもが気楽で良かった。あの頃に戻りたい」とまで言ってしまう有様でした。もはや誰の言葉にも耳を貸しません。

 

一方、楚では「劉邦の父や妻を人質として利用すべきだ」と范増が進言するのに対して「俺は、西楚の覇王だ!そんな卑怯な真似など出来るか」と返す項羽とで楚のトップ2人同士が意見対立をしておりました。そんな傍ら牢に閉じ込められた呂雉は、気落ちする義父と曹氏を励まし、項羽や范増に楯突いたりなど気丈に振る舞っていたのでした。

 

第59話 蕭何、劉邦を叱る

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※灌嬰

 

劉邦を王にしてやったのに感謝されるどころか土足で彭城にまで足を踏み入れられた事に激しく憤る項羽は、追っ手を差し向けたにも関わらず一向に劉邦が見つからない報告を受け、漢の拠点である関中へ攻め込み漢軍を根絶やしにしようと考えます。しかし、范増の「関中までの兵糧が持たない。それよりも今は漢軍の襲撃によって苦しんだ彭城の民衆に食糧を与え、民心を落ち着かせるべきである」との進言を泣く泣く取り入れ、関中攻めを撤回したのでした。

 

その頃、劉邦の元へ関中にいる蕭何から三ヶ月分の食料が送られてきます。劉邦が滎陽で軍を立て直すために送られた食糧です。しかし、それでも劉邦は動こうとはしませんでした。これに業を煮やした張良は「あの方に説得してもらうしかない」として漢軍のナンバー2である蕭何に沛県へ来るよう催促したのでした。

 

そして蕭何は、劉邦の元へ来るなり「おい!劉邦!」と呼び捨てにして「お前は、ずっとこのままで良いのか?お前に命を預けてきた者達は、この先どうなる?お前に深い恨みを抱いている項羽は、地の果てまでもお前の首を取りにやってくるぞ!」と叱りつけたのです。その後、蕭何の叱責によって目が覚めた劉邦は滎陽へと急ぎ向かったのでした。やはり、韓信の時といい蕭何の存在は、漢にとって一番大きかったと言える場面です。

 

第60話 戻らぬ韓信

 

滎陽へと辿り着き漢王として威厳を取り戻した劉邦でしたがそうした中、側室の戚夫人が「呂雉がいない今がチャンス」と見て動いたのでした。戚夫人には、世継ぎを決める際に呂雉に味方する盧綰(ロワン)や樊噲(ハンカイ)らの後ろ盾が無く、内部で孤立していたのです。そこで息子・如意を太子にする為にも身の回りを固めるべく当時漢内で新参者である陳平に触手を伸ばしたのでした。

 

しかし、策士である陳平が戚夫人の奸智を看破し中立を維持した事や劉邦自身が太子を決める事に乗り気では無かったのもあって戚夫人の思惑通りには、事が運びませんでした。一方、項羽からの襲撃に備える為に増兵していた淮河に布陣する韓信の兵力が滎陽にいる漢軍の兵力よりも上回っていた事もあって韓信の独立を懸念する声が劉邦陣営に広がります。また、韓信が劉邦の帰還要請を静観し続ける事によってさらに悪化していくのでした。

 

そこで劉邦は、直筆をもって韓信の帰還を促したのでした。韓信が劉邦の帰還要請に応じない理由は、中立軍である彭越と項羽の影響から離れ中立軍となった英布の動きが掴めないでいた事や自分の留守を狙った項羽の来襲を懸念していたからでした。ただ、劉邦からの直筆は、さすがの韓信も無視は出来ません。さらに側近の蒯徹から「ここは、漢王の要請に従うべきです」と言われたので韓信は仕方なく滎陽に向かったのでした。

  

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