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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第67・68・69話を斬る

※目次

 

楚漢の激突編・・・。

 

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第67話 項羽の疑心

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※紀信
 

漢への内通を疑われた秦からの降将・司馬欣(シバキン)は、懸命に無実を訴え続けますが最後は項羽の親族である項荘に厳しく弾劾され、冤罪を被った無念を記録に残して失意の末に自害して果てます。また、記録に残した自身の想いも項羽の心には届かず、逆に司馬欣と同じく楚に降伏した元秦の兵士達にも劉邦内通への疑心を項羽に抱かせてしまう結果へと繋がってしまうのでした。

 

それは、元秦の将軍であった鐘離眜(ショウリバツ)や季布といった楚の重鎮達も例外ではありませんでした。そして、劉邦への内通を疑われ次々と処刑されていく元秦の兵士達。「今、我々の敵は漢の劉邦であるぞ!」と必死で声を荒げる鐘離眜の声も周囲には届きません。

 

やがて、項羽の疑心は亜父の范増にまで及び軍議を開いても項羽は范増を煙たがり、彼の意見を聞こうとはしませんでした。「項羽は、漢の離間の計に踊らされている。このままでは、まずい」と思った范増は、項羽の目を醒すためにも彼の幕舎へと赴きますが面会謝絶されてしまいます。それでも鐘離眜の静止を振り切り雪が降りしきる中、老体を引きずって項羽の面会を待つ范増でしたが・・・。

 

その頃、范増に個人的な恨みを持つ楚内部離間工作の首謀者である漢の陳平が楚の陣営へと潜り込み、楚の将軍・丁公と密会して黄金1万斤を渡して項羽と范増の中を割くよう働きかけ、楚から范増を追い出して無き者にしてやろうと画策していたのでした。

 

第68話 范増との別れ

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※周苛
 

結局、項羽とは面会出来ず根負けした范増は、項羽の幕舎を後にします。ところが翌日になって項羽が開いた軍議を今度は范増が欠席してしまうのです。長年、苦渋を共にしてきた両者による意地の張り合いがすでに始まっていたのでした。しかし、楚の未来を憂う范増は、一旦ここで平静に戻って項羽の軍議に参加するのですが現状は変わらず、自分の進言が採用されないどころか項荘と喧嘩をしてしまい、軍議を途中で退席してしまうのでした。

 

その後、范増を良しと思わない項荘は項羽に讒言を振りまき、さらに陳平に買収された丁公もそれを後押ししてきた為、ここに項羽と范増間の亀裂が決定的となってしまうのです。しばらくして「楚には、わしの居場所が無くなってしまった」と言って范増は、楚の陣営を去りその道中で病死してしまうのでした。范増を呼び戻そうとした虞子期も徒労に終わってしまいます。

 

范増の死を知った項羽は「取り返しの付かない事をしてしまった」と激しく号泣し、ようやく陳平の離間工作から目を醒まして鐘離眜や季布らに今までの非礼を謝罪し、范増の弔い合戦を決行したのでした。劉邦の企みで范増を失ってしまった事に激しく憤った項羽の軍の勢いは凄まじく、劉邦が籠る滎陽も落城寸前となってしまいます。そこで劉邦は滎陽から脱出する事を決断しますが、楚軍に包囲された状態から脱出するのは困難でした。そこで陳平が劉邦の身代わりを作って項羽の目を欺き、その間に劉邦が滎陽から脱出出来るように画策します。

 

第69話 漢王の身代わり

 

陳平は、劉邦の身代わりになれそうな人物を夏侯嬰(カコウエイ)に聞き出します。すると、夏侯嬰から「紀信という男が漢王(劉邦)とそっくりである。旗揚げ当初から付き従ってきているので信頼出来る」と言ってきたので紀信を劉邦の身代わりとして抜擢しました。さらに、旗揚げ当初から紀信と苦渋を共にしてきた周苛(シュウカ)という男も「紀信と共に滎陽に残りたい」と言ってきたのでそれも快諾します。

 

その後、自分の身代わりを作る事に戸惑う劉邦でしたが、紀信と面会してその人となりを見て、その忠誠心を感じ取って思わず号泣し、紀信の家族や友人の面倒を見る事を約束し自分の身代わりにする事を承諾したのでした。そして、迎えた脱出の時、紀信率いる偽漢王部隊は楚軍目掛けて突進します。「劉邦が滎陽から脱出しました」と報告を受けた項羽は、先回りして紀信を待ち伏せします。その隙に劉邦は、夏侯嬰と共に滎陽を脱出したのでした。

 

やがて自分の目の前に現れたのが劉邦の偽物だと知った項羽は、怒り狂って紀信を火あぶりにして処刑します。さらに、空となった滎陽を占拠して最後まで抵抗していた周苛を捕らえ、その忠義を惜しんで楚に仕えるよう促しますが、きっぱり断られてしまいます。「項羽に仕えるなら死んだ方がマシだ」と。何故、自分を捨て石にした劉邦のためにここまで命をはれるのか?項羽やその場にいた虞子期達には、到底理解出来ませんでした。

 

一方、項羽の元から逃げ延びた劉邦は、韓信の陣営へと辿り着きます。今まで劉邦が項羽に攻められてても救援には行かず、静観を貫いていた韓信達は劉邦の動向に固唾を呑みますが、劉邦からはとくにお咎めがなく兵2千を残して全て没収されるだけに終わるのでした。これから最大の難敵である斉の討伐を前に準備を進めていた韓信は、劉邦の言わるがままに兵を差し出し、残った2千の兵に対して大金を渡してそれぞれ故郷に帰らせ、渡したお金を使って「兵を搔き集めてこい!」と指示したのでした。

 

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