※目次
最後の戦い編・・・。
第76話 破られた盟約
※蕭何
和睦の使者として漢の陣営を訪れた項伯は、そこで蕭何(ショウカ)と会談し中国大陸を東西で二分して東を楚、西を漢に分ける盟約を交わします。また、蕭何から「和睦したのだから漢王の一族を返還して欲しい」と言われ、これを承諾。やがて劉邦の父、正室の呂雉、愛人の曹氏といった劉邦の一族が項羽の元から釈放されるのでした。これが本当の劉邦の狙いでもあったのです。
悩みの種が無くなった劉邦は、楚軍が連戦続きで士気が下がっている事や食料不足に陥っている状況を見逃さず、ここぞとばかりに楚と交わした和睦の盟約を破り、撤退した楚軍の背後を襲ったのでした。この劉邦の行動に怒り狂った項羽は、虞子期らの「今は彭城へ戻り兵を休ませ、食糧を確保すべきです」との進言を退け、固陵と呼ばれる場所で漢軍を迎え撃ったのでした。
そして、劉邦に裏切られ恨み骨髄となった項羽の猛攻撃の前に漢軍は潰走してしまい、劉邦も命からがら陽夏の城に逃げ込んでしまいます。それから10日余り、亀のように城に引き籠る劉邦の前に項羽はまたしても攻め手を欠いてしまい、ついに食糧が底を尽いてしまうのでした。その頃、以前として梁の彭越や斉の韓信らは、劉邦からの度重なる出兵要請を聞き流し黙って戦機を伺っていたのです。
第77話 韓信、出陣す
※虞子期
「今度こそ劉邦の息の根を止めてやる!」と意気込む項羽は、劉邦が陽夏に籠城してから20日以上立ってもその気持ちは変わりませんでした。そんな中、楚軍では餓死者が多発してしまいます。それでも項羽は「今が我慢の時である。ここを耐えきった者だけが勝利を掴み取るのだ!」と周囲に言って聞かせるのでした。
一方、漢の張良が「食糧不足に陥っている楚を倒すのは、今しかない!」と考え、劉邦に「梁と斉の領土を増やして彭越と韓信を喜ばせ、今すぐにでも項羽討伐の兵を起こすよう催促すべきです」と提案し、劉邦はこの案を取り入れます。その後、劉邦から領土の約束をされた彭越が楚の補給路を断ってから彭城の北側を攻め込み、同じく領土を約束された韓信が灌嬰(カンエイ)を先鋒に彭城の東側に攻め入ったのでした。
彭越と韓信らによる彭城襲来が始まってから固陵で劉邦と対峙し続ける事が困難となった楚軍。さすがの項羽もここは意固地にならず、彭城に救援に向かうしかありませんでした。時は、極寒の冬。食糧も水もない楚の兵士達は、その場にあった氷の塊を食べて飢えを凌ぎますがその顔は不満でいっぱいです。「あと三日耐えろ!彭城に帰ったら腹いっぱい食わせてやる!」と豪語する項羽の言葉も周囲には響き渡りません。そんな中、彭城陥落の報せが届きます。思わず「劉邦め!やってくれたな!」と苦笑いする項羽。さらに、劉邦軍の兵力は約60万にまで上りさらに今後も増え続ける可能性があると知った項羽はそこで覚悟を決め、虞子期に「どこか漢軍を迎え撃つに適した場所はないのか?」と問い「垓下という場所が最適です」と言われ、その場所を戦場と決めたのでした。「垓下の地で楚軍10万足らずが漢軍60万を打ち破ったという歴史を刻んでやる」と猛る項羽。しかし、ここで「四面楚歌」・・・※作中には、そのシーンが無い
ずっと戦続きで望郷の念に駆られた楚の兵士達は、楚歌を聞いて一斉に項羽の元から離散してしまうのでした。それでも項羽は「俺達は、僅か三百人足らずで旗揚げした。さらにお前達(鐘離眜、季布、虞子期)がいれば漢軍を倒す事など容易いモノだ」と息を吐きます。さらに、項羽の身を案じる虞姫の前でも「この戦が終われば子供を作って一緒に平和に暮らそう。以前、お前と子供を8人作るといったよな?」と笑って立ち振る舞うのでした。
第78話 垓下の戦い
劉邦は、各連合からなる総勢60万人に上る漢の大軍団の総大将に韓信を任命し、徐々に項羽を追い詰めていきます。僅かに残った楚の屈強な兵士と勇将達(鐘離眜、季布、虞子期)らと共に奮闘した項羽は、もはや勝ち目がないと悟ったのかある決断を下します。
虞子期に最愛の妻である虞姫を託し、垓下から脱出させる事でした。「お前は、生き延びるんだ!」と。しかし、死ぬまで項羽と共に居たいと願う虞姫は、項羽の申し出を断ります。そこで項羽は、やむなく虞姫を自らの手刀で気絶させ、虞子期に託したのでした。当然、虞姫だけでなく項羽と長年生死を共にしてきた虞子期も項羽の申し出を断ったのですが「最愛の妻である虞姫を託せるのは、無二の親友であるお前しかいない!」と項羽に頭を下げられたのでやむなくこれを引き受けたのでした。
その後、気絶した虞姫を引き取って項羽の元から離れた虞子期。ところが、道中で目覚めた虞姫が馬を奪って項羽の元へと駆け抜けていったのでした。「何故、戻ってきたんだ?」と項羽からの問いに「生きるも死ぬも貴方と一緒!あの時、誓ったでしょ?」と言われ、過去を想い返す項羽はそのまま虞姫を受け入れたのでした。
やがて遅れて駆けつけてきた虞子期も「すまない!」と項羽に頭を下げ、再び生死を共にする事を誓ったのですが・・・その時、漢軍からの包囲網がさらに縮まり、楚軍は絶体絶命のピンチを迎える事となります。そこで今度は、虞子期が項羽の旗を持って漢軍の目を引き付け、項羽と虞姫を逃がしたのでした。拒む項羽に「以前、私は使える男だと言ったはずだ!」と。過去を思い出し涙を流す項羽は「そうだったな!」と言って虞子期の肩をポンと叩いてこの場を託し、虞姫と共に江東の方角へと落ち延びていったのでした。
※楚漢戦争の前記事
※楚漢戦争の次記事