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簡易三国志 蜀編 「劉備」 ~後漢皇帝に謁見と兄弟との再会~

※目次

後漢皇帝劉協に謁見と曹操暗殺計画

 

曹操と共に呂布を破った劉備は、そのまま曹操の元で庇護を受ける事になります。劉備の人柄と人望に一目置いた曹操は劉備は侮れない存在と確信し、劉備をこのまま手元に留め置き封印する事を画策します。劉備も曹操が自分を警戒している事に気づき操からの独立を考えます。

 

劉備と曹操にこんなエピソードがあります。

 

劉備を酒宴に招いた曹操は、2人で天下の英雄について語り合いました。曹操が「この広い天下で英雄と呼べる人間はいるか?」との問いに、劉備が袁紹や孫策等次々と群雄達の名を挙げていきます。しかし、曹操は挙げた人間全てを「英雄ではない」と応えます。困った劉備はそのまま沈黙してしまいますが、そこで曹操は「英雄は君(劉備)と余(曹操)けだ」と言ったのです。

 

劉備は確信します。曹操は自分を警戒していると。そして、この時落雷が落ちてきました。曹操の警戒心を解くために劉備は、わざとその落雷にビビり小人の振る舞いを曹操に見せ、その警戒心を解いたとされます。

 

曹操から独立を考えた劉備は、まず後漢皇帝の劉協に謁見しました。実は、劉備と劉協が顔を初めて合わせたのこの時であり、劉備の出自(前漢の中山靖王の末裔)を初めて知った劉協は大変喜び、劉備が自分の叔父に当たるとして劉皇淑と呼ぶ事にし、漢の左将軍に任命しました。そして、自らの寝室に劉備を呼び寄せ涙ながらに勅命を下します。

 

逆賊曹操を討て!」と。

 

劉協は、曹操に傀儡かされ皇帝をないがしろにされる日々を過ごしておりました。その苦痛に耐えかねた劉協は涙ながらに劉備に勅命したのです。その勅命の証書は、重臣の董承を中心に血判状で作られたものでした。皇帝からの勅命を受けた劉備は、何とか皇帝の力になって朝廷を救いたいと思いますが、地盤も力もない状態では不可能でした。

 

曹操からの独立と兄弟との別れ

 

ひたすら曹操の元から脱出を伺っていた劉備に、が巡ってきます。偽りの皇帝を自称した袁術が人心を得る事が出来ず困窮した為、国を捨て袁紹の元へ出発したのです。これをチャンスと見た劉備は、早速劉協に謁見し偽帝袁術の討伐を願い出ます。劉協はこれを快く受け入れ、横にいた曹操も偽帝袁術討伐といった大義名分がある事と劉備との宴会で落雷に驚いた劉備に警戒心を解いていたのでこれを承諾します。

 

そして、曹操は劉備に5万の兵を貸し与えます。操の元を離れる事に成功した劉備は、そのまま袁術を討伐し徐州を占拠して曹操からの独立を果たします。

 

劉備が徐州を占拠して間もない頃、許昌では曹操暗殺計画が曹操に漏れてしまい、その中心人物である董承は処刑されてしまいます。そして、曹操は血判状に劉備の名が記されているのを見て怒り、さらに劉備が徐州を占拠した事を知って怒りが頂点に達してしまいます。怒り狂った曹操は劉備のいる徐州攻めを決行します。

 

曹操が攻めてくる事は時間の問題と分かっていた劉備は、袁紹に使いを送り「我らが戦っている間に、曹操の背後を急襲されよ」と伝えるが、袁紹は息子の病気を理由に劉備からの依頼を拒否し、絶好の機会を逃してしまいます。独力で曹操に挑む事となった劉備は、かなうはずもなく曹操に散々に蹴散らされてしまいます。そして城は陥落してしまい関羽・張飛及び妻子共々と生別れてしまいます。

 

逃げに逃げて独りぼっちになった劉備は、1度自殺を試みますが漢朝再興の強い思いが自殺を踏み留まらせます。そして袁紹に援軍を依頼した時に、袁紹から「曹操に敗れるような事あれば冀州に参られよ」という言葉を信じ、袁紹のいる冀州へ向かう事になります。

 

官渡の戦い(前哨戦)

 

劉備と張飛と離れ離れになった関羽は、劉備の妻子共々曹操に降伏してしまいました。袁紹に迎え入れられた劉備は、関羽の降伏の事などつゆ知らず、ひたすら袁紹に「曹賊を滅ぼすべし」と訴え、袁紹を煽っていきます。そして200年、劉備に煽られ重臣にも煽られた袁紹は、ついに70万の大軍を引き連れ曹操との決戦を決断します。

 

まず、配下の陳琳に曹操討伐の檄文を書かせ軍の士気を上げ袁紹軍の双璧の1人である猛将顔良に先鋒を命じ、白馬津を攻めさせました。武勇に秀でた顔良は、曹操の配下である魏続・宋憲を血祭りに上げ名将の徐晃も敗走させるなど序盤は曹操軍を圧倒しますが、関羽に殺されてしまいます。

 

顔良が関羽に打たれた!と聞いた袁紹は、以前から関羽の事を知っていた為劉備に「これはどういうことだ?」と問い詰めると、劉備も一瞬動揺してとぼけるのが精一杯になってしまい、その対応を見た袁紹は「この裏切り者を斬って、顔良を弔え」と劉備を殺そうとしますが、劉備は「それは本当に関羽でしょうか?関羽ならば私の存在に気付いてこちら向かってくるはず」と袁紹を諭し、この場を上手く切り抜けます。

 

顔良を失った袁紹は、続いて同じ双璧の片割れである文醜を先鋒に命じ、延津を攻めさせます。しかし武勇一辺倒で猪武者である文醜は、曹操軍の幕僚である荀攸の囮作戦にはまってしまい、単身で曹操軍陣中に猪突して後詰めと寸断されてしまった為、戦場で孤立してしまいます。そして、顔良に続いてまた関羽によって斬り殺されてしまいます。

 

今度こそはっきりと関羽である事を確信した袁紹は劉備に「もう言い逃れは出来んぞ!誰か!劉備の首を刎ねろ」と吠えますが、劉備はここで「なぜ関羽が曹賊に加担しているのかはわかりません。ただ、関羽をこちらに呼び寄せれば顔良や文醜の数倍は戦力になりますぞ」と袁紹に諭しました。関羽の実力を嫌という程知った袁紹は、この意見を聞き入れ劉備の斬首を思い留めます。

 

官渡の戦い(本戦)と兄弟との再会

 

劉備は、早速関羽の元へ使いを送り河北で落ち合う事を約束した上に、このまま袁紹の元へ居ても身の危険があるとし、袁紹の元を立ち去る事を決断します。

 

関羽も曹操から離れる事に成功し、道中の城に籠っていた張飛とも無事再会します。この時公孫瓚が袁紹に滅ぼされた為、流浪していた趙雲とも奇跡的に再会し配下に加わる事になりそして、しばらくすると劉備が訪れて兄弟無事に再会を果たす事となります。しかし再会は果たせても放浪軍で地盤を持たない為、劉備は関羽・張飛らと協議をした結果中原を諦め、漢の血族である荊州の劉表を頼る事にします。

 

一方、初戦で曹操に出鼻を挫かれ劉備も失った袁紹でありましたがそれでも戦力で圧倒しており、分厚い攻めで曹操を苦しめます。しかし、優柔不断で決断力に欠ける袁紹はこれが後に仇となり、家臣団ので内部分裂を引き起こし許攸が曹操に降伏した事戦況が一変してしまいます。

 

袁紹軍の兵糧は全て烏巣と呼ばれる場所に保管されており、それを許攸が曹操に報せたからです。烏巣の存在を知った曹操は、電光石火のスピードで烏巣襲い袁紹軍の兵糧全てを焼き払います。そして、兵糧を失った袁紹軍は総崩れとなり大敗北してしまいます。

 

これによって群雄割拠時代を代表する両雄の対決は曹操の大勝利で幕を閉じる事となるのです( ゚Д゚)

 

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