色んなアンサー

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筆者であるnaoraouが色んな分野に挑戦し、私なりの答えを出していくブログです!

大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 漢の武将データ

※目次

 

本編が終了したという事で前回の「楚の武将データ」に引き続いて、今回は「漢の武将データ」を作成してみたいと思います。

 

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武将名・統率力・武力・知力・政治力・洞察力・人徳の順番に表記し、最大数値を200とします

 

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※楚の武将データ記事

 

漢の高祖

 

劉邦

統率力143、武力146、知力158、政治力166、洞察力178、人徳200

 

漢三傑

 

蕭何

統率力108、武力104、知力162、政治力200、洞察力169、人徳196

 

張良

統率力120、武力97、知力199、政治力184、洞察力187、人徳190

 

韓信

統率力200、武力145、知力195、政治力132、洞察力190、人徳141

 

漢の元勲達

 

樊噲

統率力140、武力198、知力34、政治力28、洞察力78、人徳156

 

盧綰

統率力158、武力180、知力113、政治力106、洞察力82、人徳153 

 

周勃

統率力159、武力178、知力132、政治力184、洞察力146、人徳168

 

曹参

統率力170、武力182、知力138、政治力186、洞察力149、人徳164

 

夏侯嬰

統率力156、武力174、知力136、政治力180、洞察力144、人徳176

 

謀略家

 

陳平

統率力101、武力94、知力198、政治力190、洞察力192、人徳56

 

酈食其

統率力102、武力10、知力187、政治力162、洞察力159、人徳188

 

協力者達

 

王陵

統率力188、武力182、知力174、政治力140、洞察力164、人徳197

 

彭越

統率力187、武力180、知力162、政治力76、洞察力182、人徳84

 

張耳

統率力142、武力134、知力145、政治力173、洞察力150、人徳166

 

以上となりました。

 

数値に関しましては、私個人の見解ですので予めご了承ください<(_ _)> 

 

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※楚漢戦争の前記事

 

大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第79・80最終話を斬る

※目次

 

最後の戦い編・・・。

 

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第79話 覇王別姫

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※左から劉邦と韓信
 

虞子期を残して江東をひたすら目指す項羽。しかし、それでも韓信が張り巡らせた包囲網の網を掻い潜る事は出来ませんでした。そこで項羽は、自分だけがこの場に留まって漢軍の目を引き付け、妻子を持つ兵士達に「今までお前達と共に戦えた事が私にとって最大の誇りである」と伝え、先に江東へと逃れるよう取り計らいました。「共に戦わせて下さい!」と願い出る兵士達を退けて。

 

また、最愛の妻である虞姫にも「江東の地で再会しよう」と伝え、この場から離れるよう催促しました。ただ、虞姫はわかっていました。項羽がこの地で死ぬつもりであるという事を。項羽と共に生き延びる事が叶わないと悟った虞姫は、せめて項羽に最後の安らぎをと彼が大好きだった自分の舞をその面前で精一杯披露し、持っていた短剣で自分の首を切り、静かに息絶えたのでした。

 

深い悲しみに包まれた項羽は、虞姫の亡骸を筏に乗せて長江に流し「すぐに会えるから待っていろ」と語りかけたのでした。しばらくして項羽は、愛馬である烏騅(ウスイ)もその場から解き放ち、単身で漢軍に攻撃を仕掛けます。そして、最後は自分の元から去って漢に降った元楚の将卒・呂馬童に「この褒美に掛けられた我が首を同郷のよしみであるそなたにくれてやろうぞ」と言って自らの命を絶ったのでした。こうして長きに渡る楚と漢の戦が終結したのです。

 

その後、楚の地は全て漢に属す事となりますが楚の属国であった魯だけが項羽の死に殉じるとして漢からの降伏勧告に応じませんでした。そこで劉邦は、韓信に「三日の内に魯を攻め滅ぼせ!」と命じますが、武力で屈服させても人の心は得られないと悟る韓信は、魯を何としてでも降伏させてみようと配下の周勃と打開策を練っていたのでした。

 

第80最終話 漢の礎

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※左から項羽と虞姫
 

そして、あくまで項羽に忠誠を誓う魯に対して韓信は、項羽の棺を携えて「共に項王を弔おう!」と魯に呼び掛けたのです。すると、固く閉ざされていた城門が開かれ魯が漢からの降伏勧告を受け入れたのでした。ここに長く戦乱が続いていた中国大陸が漢によって統一される事となり、紀元前202年に劉邦が皇帝に即位する事となります。

 

しかし、人間は一度頂点に昇り詰めたら今度はそれを脅かす存在に不安を覚えてしまいます。この時、すでに劉邦は猜疑心の塊と化していたのでした。それは、腹心の盧綰による謀反、梁王・彭越の粛清、挙句の果てには漢三傑の一人である楚王・韓信(劉邦によって斉王から楚王に変位される)にまで被害が及ぶのです。城の数が斉よりも少なくなったとはいえ生まれ故郷である淮陰がある楚は、韓信にとって栄転とも言える事でした。実際、韓信は以前食べ物を恵んでくれたおばさんに大金をやって喜ばせ、股くぐりをさせられた男には位を授けるなど充実した生活を送っておりました。

 

ところが、楚にいた頃に何かと自分に目を掛けてくれていた浪人・鐘離眜(ショウリバツ)を自らの配下にした事で事態は一変してしまうのでした。楚漢戦争時代、鐘離眜によって散々辛酸を舐めさせられ続けていた劉邦は、韓信に二心ありと誤解してしまったのです。やがて、韓信は淮陰公にまで降格されその後謀反を企てますが、事前に漏洩してしまい蕭何の策によって宮中に誘き寄せられ、呂雉(リョチ)の手で粛清されてしまうのでした。

 

また、彭越や韓信といった各地の王が相次いで粛清されていく中、身の危険を感じた九江王・英布も劉邦に反旗を翻しますが、善戦虚しく鎮圧されてしまいます。この時、劉邦は再び矢傷を負ってしまいます。やがて、ある程度の不安分子を取り除いた劉邦は、精根共に疲れ果て故郷の沛県に凱旋して元愛人であった曹氏と再会し、心を落ち着かせたのでした。その後、宮中に戻った劉邦は、孫の劉襄(リュウジョウ)に自分がこれまで辿った軌跡や人間の在り方を説くと同時に先が見えない漢の行く末に不安の表情を浮かべていたのでした・・・。

 

<完結>

 

最後に

 

長い間、お付き合い頂いてとても感謝しております!

 

簡素に仕上げてしまったのでツッコミどころや抜けている所などただあるとは思われますが予めご了承下さい<(_ _)>

 

こうして振り返ってみますとやはり人間の性格と繋がりはとても大事ですよね。

 

人間にとって重大な3大要素と言えば「天の時・地の利・人の和」とされてますが、このドラマはその1つである「人の和」にとても重点が置かれているような気がします。

 

圧倒的優位とされていた楚の項羽、農民出身で弱小に過ぎなかった劉邦。しかし、後者の劉邦が最終的に勝ちを収める事が出来たのは、天の時や地の利以上に人の和を上手く活用出来ていたからであり、劉邦の性格にあると思います。項羽には、残念ながらそれが欠落しておりました。もちろん、項羽にだって優しさはあります。しかし、それは特定の人にだけであって周囲に徳を施す事をしませんでした。それも項羽の性格の1つと言えるのではと思います。

 

また、劉邦には蕭何・張良・韓信といった漢三傑と呼ばれる人物がおり、劉邦はその者達を上手く用いる事が出来ました。兵站には蕭何、知略には張良、行軍には韓信と。項羽にも范増という軍師がおりましたが、その范増1人ですら上手く用いる事が出来ませんでした。なぜかというと自分の武勇に圧倒的な自信と驕りがあったからです。それが災いとなって人の言葉には、余り耳を傾けません。三国志で言うと呂布や張飛といった強くて驕り高ぶる人間達の結末も似たようなモノでした。そういえば関羽も誉れ高く忠義に富んだ武人でしたが、唯一の欠点が驕り高ぶるところでしたよね。他人の言葉に耳を傾けるくらい柔軟性がないと人間との繋がりは保てないと思われます。

 

以上となります。

 

改めて今までありがとうごさいました<(_ _)>

 

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※楚漢戦争の前記事

 

 

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※楚漢戦争の次記事

 

大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第76・77・78話を斬る

※目次

 

最後の戦い編・・・。

 

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第76話 破られた盟約

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※蕭何
 

和睦の使者として漢の陣営を訪れた項伯は、そこで蕭何(ショウカ)と会談し中国大陸を東西で二分して東を楚、西を漢に分ける盟約を交わします。また、蕭何から「和睦したのだから漢王の一族を返還して欲しい」と言われ、これを承諾。やがて劉邦の父、正室の呂雉、愛人の曹氏といった劉邦の一族が項羽の元から釈放されるのでした。これが本当の劉邦の狙いでもあったのです。

 

悩みの種が無くなった劉邦は、楚軍が連戦続きで士気が下がっている事や食料不足に陥っている状況を見逃さず、ここぞとばかりに楚と交わした和睦の盟約を破り、撤退した楚軍の背後を襲ったのでした。この劉邦の行動に怒り狂った項羽は、虞子期らの「今は彭城へ戻り兵を休ませ、食糧を確保すべきです」との進言を退け、固陵と呼ばれる場所で漢軍を迎え撃ったのでした。

 

そして、劉邦に裏切られ恨み骨髄となった項羽の猛攻撃の前に漢軍は潰走してしまい、劉邦も命からがら陽夏の城に逃げ込んでしまいます。それから10日余り、亀のように城に引き籠る劉邦の前に項羽はまたしても攻め手を欠いてしまい、ついに食糧が底を尽いてしまうのでした。その頃、以前として梁の彭越や斉の韓信らは、劉邦からの度重なる出兵要請を聞き流し黙って戦機を伺っていたのです。

 

第77話 韓信、出陣す 

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※虞子期
 

「今度こそ劉邦の息の根を止めてやる!」と意気込む項羽は、劉邦が陽夏に籠城してから20日以上立ってもその気持ちは変わりませんでした。そんな中、楚軍では餓死者が多発してしまいます。それでも項羽は「今が我慢の時である。ここを耐えきった者だけが勝利を掴み取るのだ!」と周囲に言って聞かせるのでした。

 

一方、漢の張良が「食糧不足に陥っている楚を倒すのは、今しかない!」と考え、劉邦に「梁と斉の領土を増やして彭越と韓信を喜ばせ、今すぐにでも項羽討伐の兵を起こすよう催促すべきです」と提案し、劉邦はこの案を取り入れます。その後、劉邦から領土の約束をされた彭越が楚の補給路を断ってから彭城の北側を攻め込み、同じく領土を約束された韓信が灌嬰(カンエイ)を先鋒に彭城の東側に攻め入ったのでした。

 

彭越と韓信らによる彭城襲来が始まってから固陵で劉邦と対峙し続ける事が困難となった楚軍。さすがの項羽もここは意固地にならず、彭城に救援に向かうしかありませんでした。時は、極寒の冬。食糧も水もない楚の兵士達は、その場にあった氷の塊を食べて飢えを凌ぎますがその顔は不満でいっぱいです。「あと三日耐えろ!彭城に帰ったら腹いっぱい食わせてやる!」と豪語する項羽の言葉も周囲には響き渡りません。そんな中、彭城陥落の報せが届きます。思わず「劉邦め!やってくれたな!」と苦笑いする項羽。さらに、劉邦軍の兵力は約60万にまで上りさらに今後も増え続ける可能性があると知った項羽はそこで覚悟を決め、虞子期に「どこか漢軍を迎え撃つに適した場所はないのか?」と問い「垓下という場所が最適です」と言われ、その場所を戦場と決めたのでした。「垓下の地で楚軍10万足らずが漢軍60万を打ち破ったという歴史を刻んでやる」と猛る項羽。しかし、ここで「四面楚歌」・・・※作中には、そのシーンが無い

 

ずっと戦続きで望郷の念に駆られた楚の兵士達は、楚歌を聞いて一斉に項羽の元から離散してしまうのでした。それでも項羽は「俺達は、僅か三百人足らずで旗揚げした。さらにお前達(鐘離眜、季布、虞子期)がいれば漢軍を倒す事など容易いモノだ」と息を吐きます。さらに、項羽の身を案じる虞姫の前でも「この戦が終われば子供を作って一緒に平和に暮らそう。以前、お前と子供を8人作るといったよな?」と笑って立ち振る舞うのでした。

 

第78話 垓下の戦い

 

劉邦は、各連合からなる総勢60万人に上る漢の大軍団の総大将に韓信を任命し、徐々に項羽を追い詰めていきます。僅かに残った楚の屈強な兵士と勇将達(鐘離眜、季布、虞子期)らと共に奮闘した項羽は、もはや勝ち目がないと悟ったのかある決断を下します。

 

虞子期に最愛の妻である虞姫を託し、垓下から脱出させる事でした。「お前は、生き延びるんだ!」と。しかし、死ぬまで項羽と共に居たいと願う虞姫は、項羽の申し出を断ります。そこで項羽は、やむなく虞姫を自らの手刀で気絶させ、虞子期に託したのでした。当然、虞姫だけでなく項羽と長年生死を共にしてきた虞子期も項羽の申し出を断ったのですが「最愛の妻である虞姫を託せるのは、無二の親友であるお前しかいない!」と項羽に頭を下げられたのでやむなくこれを引き受けたのでした。

 

その後、気絶した虞姫を引き取って項羽の元から離れた虞子期。ところが、道中で目覚めた虞姫が馬を奪って項羽の元へと駆け抜けていったのでした。「何故、戻ってきたんだ?」と項羽からの問いに「生きるも死ぬも貴方と一緒!あの時、誓ったでしょ?」と言われ、過去を想い返す項羽はそのまま虞姫を受け入れたのでした。

 

やがて遅れて駆けつけてきた虞子期も「すまない!」と項羽に頭を下げ、再び生死を共にする事を誓ったのですが・・・その時、漢軍からの包囲網がさらに縮まり、楚軍は絶体絶命のピンチを迎える事となります。そこで今度は、虞子期が項羽の旗を持って漢軍の目を引き付け、項羽と虞姫を逃がしたのでした。拒む項羽に「以前、私は使える男だと言ったはずだ!」と。過去を思い出し涙を流す項羽は「そうだったな!」と言って虞子期の肩をポンと叩いてこの場を託し、虞姫と共に江東の方角へと落ち延びていったのでした。

 

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