色んなアンサー

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第1・2・3話を斬る

※目次

 

こちらの作品は、大ヒット作「三国志 Three Kingdoms」に続く中国の楚漢戦争を描いた歴史ドラマになります。

 

今、日本では漫画家・原泰久氏の「キングダム」が映画化もされ、絶大な人気を誇っておりますが、この物語は秦の始皇帝のお話です。私が紹介する「項羽と劉邦」とは、その秦を滅ぼした張本人達であり、その者達が築いた「楚」「漢」という2大勢力が天下統一をかけて覇を競い合う物語となっております。

 

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総製作費は、前作の三国志を大きく上回る35億円と壮大なスケールとなっており迫力満点です。物語を演じる役者達も前作のメンバーの大半が引き継いでおり、その中でも秦の始皇帝を演じるユー・ホーウェイ(前作では劉備役)や項羽を演じるピーター・ホー(前作では呂布役)の演技には、大注目ですね。さぁ、そこの貴方も中国が誇る壮大な歴史ドラマを是非堪能してみて下さい( ゚Д゚)

 

第1話 始皇帝巡幸

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※項羽(三国志では、呂布役)
 

時は、中国の春秋戦国時代・・・。秦の始皇帝は、六国と称された強国(燕・趙・斉・楚・韓・魏)を次々と滅ぼし中国大陸の天下統一を成し遂げました。また、統一王朝として初めて皇帝を名乗った人物でもありました。

 

しかし、武力のみで統一した秦に対して元敵国であった民衆達からの支持を得る事は出来ませんでした。また、秦に滅ぼされた六国の子孫達は、虎視眈々と秦に反旗を翻すチャンスを伺っております。その1人が項羽でした。そんな中始皇帝は、自らの武威を示し反乱分子を抑える為、都の生活に辟易していた事もあって各地の巡幸を繰り返していたのでした。

 

一方、その頃の劉邦は徐州の沛国(はいこく)にある小さな村のゴロツキ達の親分をしておりました。仕事もしない上に女遊びばかりする劉邦でしたが、持ち前の義侠心と胆力もあってか不思議と彼の元に人が集まってくるのです。その中には、後の腹心となる蕭何(しょうか)や樊噲(ハンカイ)らの姿がありました。

 

第2話 楚人の誇り

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※劉邦
 

秦に最後まで抵抗したとされる楚の名将・項燕(こうえん)の子孫である項梁(こうりょう)と項伯(こうはく)、そして項梁の族子である項羽は、秦に祖国を滅ぼされた後に故郷を追われ江東の地へと流浪しておりました。

 

彼等は、父の仇であり祖国を滅ぼした秦を深く恨んでおり、秦を滅ぼさんが為に再起を図るチャンスを伺っておりました。また、一向に動こうとしない項梁に苛立ちを隠せない項羽は何度も項梁に旗揚げを催促します。そこには、楚人としての誇りがみなぎっておりました。しかし、項梁は動こうとはしません。

 

項梁は、わかっておりました。今がその時期では無い事を。それと同時に溢れでんばかりの才能を持ち合わせた項羽の将来を嘱望しながらも若さゆえの軽率さを戒める為にも時間が必要だったのです。まさしく項家一族にとっては、雌伏の時でした。

 

第3話 劉邦、嫁を取る

 

ある日、劉邦の村に呂家と呼ばれる有名な豪族が引っ越してきます。その引っ越しを取り仕切ったのが村の官吏である蕭何でした。何かと首を突っ込んでくる劉邦もその場に居合わせます。また、村の民衆達も一斉に有名な呂家を一目見ようと訪れてきた事によって呂家の家の前が溢れかえってしまいます。

 

そこで蕭何は、呂家に人を入れない為にも「家に入る際には1000銭払え!」とその場に居合わせた民衆達に通告します。すると、その場にいた劉邦は「俺は、10000銭払うぞ!」と言って勝手に呂家の中へと侵入したのです。その光景に呆れる蕭何でしたが、結局劉邦を止めませんでした。

 

劉邦を見た呂家の主人である呂公は、蕭何の口添えと劉邦の人となりを見て一目惚れしてしまいます。そして、娘である呂雉(リョチ)を劉邦に嫁がせてしまうのでした。後に悪名高き女として有名になる呂雉です。しかし、この頃の呂雉は夫の劉邦に尽くすとても気心のある立派な女でした。

 

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※前記事

 

 

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※楚漢戦争の次記事

 

戦国時代 武将データを作ってみました(その3)

※目次

 

前回に引き続いて「武田家」のそれぞれの武将能力値を最大200までの数値で表してみました。

 

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武将名・采配力・武力・知力・政治力・発想力・時勢の順番で表記

 

武田四名臣

 

馬場信春

采配力172、武力188、知力164、政治力174、発想力158、時勢102

 

内藤昌豊

采配力183、武力152、知力176、政治力182、発想力168、時勢106

 

山県昌景

采配力186、武力185、知力170、政治力136、発想力153、時勢101

 

高坂昌信

采配力192、武力160、知力187、政治力155、発想力174、時勢121

 

信玄の一門衆

 

武田信繁

采配力184、武力162、知力166、政治力170、発想力150、時勢58

 

武田信廉

采配力105、武力98、知力106、政治力137、発想力126、時勢128

 

武田勝頼

采配力161、武力187、知力134、政治力78、発想力111、時勢99

 

仁科盛信

采配力166、武力183、知力128、政治力96、発想力108、時勢100

 

穴山信君

采配力134、武力41、知力157、政治力175、発想力139、時勢118

 

信玄の軍師と真田一門

 

山本勘助

采配力174、武力163、知力191、政治力105、発想力186、時勢60

 

真田幸隆

采配力158、武力126、知力193、政治力160、発想力180、時勢169

 

真田信綱

采配力135、武力179、知力152、政治力101、発想力110、時勢97

 

真田昌輝

采配力150、武力178、知力160、政治力108、発想力114、時勢97

 

真田昌幸

采配力188、武力165、知力197、政治力173、発想力197、時勢190

 

武田の猛牛と初代赤備

 

秋山信友

采配力159、武力184、知力151、政治力146、発想力138、時勢113

 

飯富虎昌

采配力155、武力189、知力117、政治力90、発想力124、時勢88

 

以上となります。

 

前回と同じで有名武将のみを取り上げる事にしました( ゚Д゚)

※能力値は、あくまで個人的主観です

 

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※戦国時代の前記事

 

大河ドラマ 風林火山 49話

※目次

 

時は、1561年。第四次川中島の戦い・・・。

 

千曲川を挟み、両軍にらみ合う武田軍と上杉軍。その混着状態を打ち破るべく武田軍の軍師・山本勘助が発案した「啄木鳥の戦法」を発動した処からこの戦いの火蓋が切って落とされるのであった・・・。

 

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しかし・・・。

 

宇佐美定満が看破

 

啄木鳥の戦法とは、武田軍別動隊(馬場信春や高坂弾正等)に命じ、妻女山に陣を敷く上杉軍の本陣の背後を急襲させ、武田信玄率いる本陣の部隊と挟撃する作戦でした。また、戦場が深い霧に包まれた事もあって別動隊を編成するのに絶好の機会でもあったのです。

 

しかし、上杉軍の軍師である宇佐美定満は戦場に包まれた霧と武田本陣から上がる炊き出しの煙を見て啄木鳥の戦法を看破しました。さらに、宇佐美からの助言を聞いた上杉謙信は、霧を逆に利用して音を立てずに静かに妻女山を下山し、武田本陣に突撃を仕掛ける事を決断します。

 

その突撃隊長に任命されたのが「越後七郡で彼にかなうものなし」と称された上杉家中屈指の猛将・柿崎景家でした。絶体絶命の武田信玄・・・。

 

柿崎景家のカッコよさ

 

旗にはかかり乱れ龍の「龍」の文字、陣形は上杉軍必殺の車懸かりの陣、采配するのは柿崎景家と上杉軍がこの一戦に掛ける魂の一撃が込められておりました。

 

深い霧の中、突如自分達の前に現れた上杉軍・・・。さすがの勘助も「しまった!作戦が読まれた!」と言い放ち、深く動揺してしまいます。そんな勘助を見て信玄は、叱咤しました。平静を取り戻した勘助は、直ちに鶴翼の陣を敷いて上杉軍に応戦しますが、本気の上杉軍にかなうはずもなくたちまち劣勢に立たされてしまうのでした。

 

youtu.be

※引用

 

兵の少なさに若干物足りなさを感じてしまいますが、武田信繁のシーンと服部隆之氏の音楽、そして38:58「あれなるは、武田信繁ぇぇ!いざ!打ち取れぇぇぇ」柿崎景家がもうやばいです。カッコよすぎて鳥肌が立ってしまいます(笑)この柿崎景家の猛攻を受けた武田信繁は、ここで最期を迎えてしまいます。

 

武田信繁を失った

 

第四次川中島の戦いは、前半が上杉軍の勝利で後半は遅れて駆け付けて来た武田別動隊との挟み撃ちによって武田軍の勝利となっておりますが、武田軍にとって勝敗よりもこの戦で実質上の武田ナンバー2である武田信繁を失った事が相当に痛かったと思われます。

 

武田信繁は、信玄の実弟であり武田軍の副将でありました。また、文武に長け優れた人格者でもあったため、信玄を含め多くの家臣から絶大なる信頼と人気を誇っておりました。豊臣秀吉で例えるなら秀吉と弟の秀長に匹敵するくらいと言っても過言ではないと思われます。

 

もし、武田信繁が生きていたら信玄の嫡子である義信事件はともかく、少なくても信玄死後の武田家で子の勝頼と譜代家臣達との分裂は無かったかもしれませんし、長篠の戦いにおいては逸る勝頼をただ1人静止する事が出来たかもしれません。ただ、武田家の財務上の問題であったり織田家との国力差を考えたら、例え長篠の戦いが無かったとしても武田家のピンチである現状に変わりはないと思われますが・・・。

 

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※戦国時代の前記事