色んなアンサー

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簡易三国志 蜀編 「劉備」 ~関羽の失態、張飛の死、劉備の最後~

※目次

関羽の失態と荊州失陥

 

曹操の撃破、漢中王に即位と全てが順調に進んでいた劉備突如暗雲が立ち込めてしまいます。それは、劉備の快進撃に刺激された荊州を守る関羽が、功を焦る余り独断で曹操の本拠地である許昌を目掛け、その道中にある樊城を攻め込んだ事にあります。序盤は、樊城の守将である曹仁を追い詰め、援軍として駆け付けた于禁・龐徳を水攻めによって勝利した関羽ではありましたが、孫権の息子との縁談を断った事で事態は急変します。

 

孫権は関羽に使者を出し、自分の息子と関羽の娘との婚約を促しました。しかし、傲慢な関羽は「虎の娘を犬の子に嫁がせてなるものか」と言ったのです。荊州の事でいつも劉備から苦湯を飲まされていた孫権は、今回の関羽の言によって馬鹿にされた事で今まで耐えていた怒りが爆発してしまいます。この関羽の傲慢さは諸葛亮も以前から気にかけており、ついに関羽はやらかしてしまったのです。

 

そして、怒った孫権は呂蒙と陸遜に命じ、関羽の背後を襲撃させ荊州はあっけなく呉の手に落ちてしまいます。荊州を失った関羽は、劉備に到底合わす顔がなく自力で荊州を取り戻そうとしますが、北からは曹操から新手の援軍として送られてきた徐晃、南からは呂蒙に攻め立てられ関羽の軍は壊滅してしまい関羽・関平親子は呂蒙の手によって捕らえられ処されてしまいます。

 

この関羽の失態から隆盛を極めた劉備軍は、大きく勢威を失って行く事になるのです。

 

漢王朝の滅亡と蜀漢皇帝劉備

 

関羽の死を知った劉備と張飛は、怒り狂いすぐにでも呉に対して関羽の仇討ちを決行しようとしましたが、諸葛亮と趙雲が必死でこれを諫めてきたので、一旦は収束します。

 

しかし、劉備の関羽を失った悲しみは収まらずまた仇討ちへの思いが消えるはずもありませんでした。さらに、それに追い打ちをかけるかの如く220年曹操の跡を継いだ曹丕が後漢皇帝の劉協に禅譲を迫り自ら皇帝となった為、約400年続いた漢王朝が滅んでしまった事により劉備のショックははかり知れないモノとなり、倒れ込んでしまいます。

 

それから食事もとらず寝込んだままの劉備を諸葛亮が一喝し皇帝を名乗った曹丕に対抗して劉備に帝位を進めます。最初は断った劉備でしたが、今度は断られた事でショックを受けた諸葛亮が病を理由に寝込んでしまった為、皇帝即位を決心します。

 

皇帝を名乗った劉備は、国名を蜀漢とし最初の勅命は呉を討伐する事とした為、以前として関羽を殺された復讐にこだわる劉備に、諸葛亮を始め重臣達が動揺してしまいます。

 

張飛の死と夷陵の戦い

 

呉の討伐を諫める諸葛亮と趙雲によって、一歩を踏み出せない劉備でしたが、弟の張飛が桃園の誓いで死す時は一緒と決めた事を劉備に告げ関羽の仇討ちを懇願してきた為、ついに劉備は呉への親征を決意します。

 

ようやく劉備が決心してくれた為、勇んだ張飛は仇討ちの先陣を切る為に、部下の范彊・張達に10日以内に準備を済ませよと無理を強要します。そして張り切る張飛は酒も進み毎日飲んだくれてしまいます。

 

無理を押し付けられた范彊・張達は、これにはたまらず日を伸ばしてもらおうと張飛に進言しますが、酔っ払った張飛に腹を立てられ200回鞭打たれてしまい「やれなければ次は殺す」とまで言われてしまった為、後が無い2人は夜に張飛の寝所へ押しかけ寝首をかいて張飛を殺害し、その首を持って呉に投降してしまいます。

 

張飛暗殺される!の報せを聞いた劉備は、泣き崩れ「とうとう私1人だけになってしまった」と膝から崩れ落ちます。そして、関羽の子である関興と張飛の子である張苞が共に親の仇として参陣してきた為、義理の叔父に当たる劉備はこれに決起され「呉の討伐が終わるまで国には帰れん」と心に決めます。再三諫めてきた諸葛亮も、もはや返す言葉が無くなった上、元々呉の討伐に反対だった事もあり国に残り後方支援に務める事になります。

 

221年劉備は、参謀に馬良、先鋒に黄忠、水軍に黄権を任命し75万の大軍を引き連れ成都を後にします。劉備が親征してきた報せを聞いた孫権は、一族の孫桓に5万の兵を与え劉備を迎撃させますが、多勢に無勢である孫桓軍は劉備軍の前ににあっけなく敗北してしまい孫桓は夷陵城に逃げ込んでしまいます。

 

孫桓が敗れ追い詰められた孫権は、孫策以来の宿将である韓当・周泰・甘寧に全てを託し10万の兵を与え劉備を迎撃させます。次の相手が呉の宿将達とあって劉備は、軍議を開きます。参謀の馬良に「蛮王の沙摩柯に、横槍をいれてもらいましょう」と提案され、老将の黄忠にも「予め伏兵を置き、そこにおびき寄せる為に私が囮になります」と提案されたので劉備は両方の案を取り入れる事になります。

 

結果、沙摩柯は敵将甘寧を射殺する功を立て、韓当・周泰も黄忠によっておびき寄せられ潰走してしまいますが、黄忠が囮になった際に、重傷を負ってしまいその傷が原因で死んでしまいます。呉はこの戦いで兵の7割以上を失う大敗北を喫しましたが、蜀も五虎大将軍を結成してわずか2年で3人も失ってしまう事となります。

 

韓当・周泰・甘寧の敗北により詰んだ孫権は、一旦降伏も考えますが、幕僚の闞沢の進言により陸遜を呂蒙以来の大都督に任命した事で、情勢ががらりと変わってしまいます。当時まだ無名だった陸遜が大都督に就いた事を知った劉備は「呉はそこまで人手不足なのか」と言いますが、馬良は「敵は思いきった人物を登用して参りました。陸遜は、あの周瑜や魯粛に引けを取りません。関羽を討ったのも呂蒙の手柄というより陸遜の知恵だと言われております。くれぐれも用心して下さい」と忠告します。馬良はこの夷陵の戦いの前は関羽の参謀として荊州に居た為、陸遜の事を知っておりました。

 

馬良から忠告された劉備は怒り狂い「なぜもっと早くそれを報せなかった!陸遜こそ関羽の仇討ちではないか!」と馬良に怒鳴り散らし、陸遜討伐へと闘志を煮えたぎらせます。

 

そして、陸遜は戦地に到着するや持久戦に徹し、守りを固め始めたのでそれを嫌う劉備は、陸遜を挑発し戦場におびき寄せようとしますが陸遜が一向にのってこない為、劉備は下手に動く事も出来ず時間だけがいたずらに過ぎていきます。

 

戦が長引き夏を迎えた頃、劉備軍の陣中では遠征軍での疲れや暑さによる疫病が多発し始めます。この事態に困った劉備は、暑さ対策の為に木の陰や茂みが多い場所に陣を移し長期戦に備えます。陸遜が赴任して以来、胸騒ぎが止まない馬良は「この混着した戦況の打開策を諸葛亮殿に伺ってみましょう」と進言し、劉備はこれを承諾します。

 

馬良の悪い予感が的中し、陸遜は劉備が暑さに苦しんで木の陰や茂みに陣を移す事をひたすら待っていのです。そして、劉備が陣を移した事を知った陸遜は、一斉に蜀軍へ火攻めを仕掛けます。今まで殻のように閉じこもっていた呉軍からの不意打ちと猛烈な勢いで燃え広がる火の勢いで大混乱に陥った蜀軍はなすすべなく大敗北を喫してしまいます。

 

馬良から近況を報告された諸葛亮は「誰だ?この布陣を敷いた者は?」と問うと、馬良は「陛下、御自らです」と答え、諸葛亮は「いかん。これでは蜀は滅ぶぞ」と言い放ち、馬良に「すぐ陛下をお助けしろ。間にあわなければ陛下を白帝城までお連れしろ」と言います。

 

急いで引き返した馬良は、間に合うはずもなく趙雲と共にすぐさま劉備と合流し呉の追撃を振り切って劉備を白帝城まで送ります。この夷陵での敗戦によって蜀は、戦力の8割以上を失ってしまうという大惨事に至り、漢朝再興への夢も大きく遠ざかってしまう事になります。

 

劉備の最後

 

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弟達(関羽・張飛)を相次いで亡くし、漢王朝が曹丕によって滅亡し、此度の夷陵の敗戦によって劉備の精神的ダメージが大きくそのまま重篤に陥ってしまいます。

 

余命幾何も無く死期を悟った劉備は、諸葛亮と息子の劉禅らを自らの寝所に呼び寄せます。そして、劉備は諸葛亮に「君の実力は、曹丕や孫権の10倍だ。息子の劉禅が皇帝たる器であれば、補佐してやって欲しい。しかし、その器でないとわかればそなたが自ら皇帝となって国を治めてくれ」と頼み、ここまで自分に信頼を寄せてくれている劉備に諸葛亮は思わず号泣し「私は、従来から臣下です。不忠を働きません。全力で若君を補佐します」と劉備の願いを流します。

 

それを聞いた劉備は、息子たちを傍に呼び「ならば先生(諸葛亮)がその気がないのであれば、息子達よ。先生にぬかずき先生を父とあがめよ。これを怠ったら不忠者とみなす」とそこまで諸葛亮を愛していた劉備でした。劉備の息子達にぬかずかれた諸葛亮は「陛下!これはなりません!」と言いますが、臨終の劉備の言葉もあって涙しながらそれに応えます。

 

最後に、劉備は諸葛亮の愛弟子である馬謖について「あの者はうわべだけで中身がない。人に良く思われるのが上手いだけだ。あの者を決して重用するな」と忠告し、諸葛亮は「肝に銘じときます」と答えた。そして、全てを話しすっきりしたかのようにこのまま劉備は息を引き取ります。

劉備玄徳、享年62歳

 

関羽・張飛と桃園の誓いにおいて義兄弟となり、各地を放浪しては敗れ中華の大地を縦横し、諸葛亮という稀代の名軍師と出会い一時的に曹操を追い詰める所までいった劉備も、結局最後は義に厚く人に優しい自分に負けてしまったと言えるのかもしれません。

 

そして、劉備に馬謖を重用するなと言われた諸葛亮も後に訪れる街亭の戦いにおいて忠告を無視し、馬謖を選んだという痛恨の人選ミスを犯してしまった事を考えると、これもまた甘い自分に負けてしまっと言えるのかもしれません( ゚Д゚)

 

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 ※蜀編「劉備」の前記事