色んなアンサー

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映画「シャッターアイランド」の見どころ

※目次

 

こちらの映画は、小説家デニス・ルへインのミステリー小説を実写化した作品となっております。監督にはマーティン・スコセッシ、主演にはレオナルド・ディカプリオ4度目のタッグ映画としても注目の作品です。

 

時は、西暦1954年・・・。

 

アメリカの連邦保安官であるテディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)は、ボストンの沖にある孤島(通称・シャッターアイランド)にて、1人の女性患者レイチェルが病院施設を脱走した報せを受け、彼女の捜索を依頼されます。チャック・オール(マーク・ラファロ)というこの依頼で初めて顔を合わる事となった相棒を引き連れて・・・。しかし、その孤島に降り立ったテディの身に数奇な運命が待ち受けていたのでした。

 

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この映画の一番のポイントとしては、作中にある様々な回想シーンや度々発生する数奇な出来事に振り回されていくテディの姿にあると思います。また、非常に複雑な物語となっておりますので、ちゃんと最期まで集中して観る必要があります。きっと物語のクライマックスに驚かされる事間違い無しですね。どんでん返しが好きな人にはたまらない映画なのではないでしょうか。

 

<個人評価点>

満足度☆☆☆☆☆☆☆☆☆星9

<記事読了時間>

約5分

 

※1部ネタバレ有り

 

シャッターアイランド

 

ボストンの沖にある孤島・シャッターアイランドには、様々な犯罪者を収容している病院施設がありました。そこでレイチェルという女が施設を脱走するといった事件が起きてしまいます。そして、彼女の捜索を依頼されたある2人の男が船で海を渡ってシャッターアイランドに向かったのでした。

 

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2人の名は、テディ・ダニエルズチャック・オール。アメリカの連邦保安官でした。チャックは、テディの事を「ボス」と呼び一見親しげに見えますが、彼らはこの脱走事件で初めて顔を合わせるといった不思議な関係でもありました。また、初対面のチャックとの会話中に「火事で妻を失った」と自分の辛い胸中を打ち明けるテディ。どこか変な空気に包まれる船中でした。そして、島へと降り立った2人は、島の警備隊副隊長であるマクフィアソンの先導の元、車で病院へと向かう事となります。

 

病院施設の外観は、まるでポーランドにある負の世界遺産(アウシュビッツ収容所)を彷彿とさせるモノで、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされており触ると電流が流れる仕組みになっておりました。また、施設内でも男はA棟・女はB棟・凶悪犯罪者は南北戦争時代の砦であったC棟と完全に隔離されており、脱走不可能な場所だったのです。

 

子供3人殺して脱走したレイチェルという女

 

テディとチャックは、門の前でマクフィアソンに拳銃を預け病院内の規律を守る事を約束し、依頼元の院長であるコーリー(ベン・キングスレー)に会いに病院施設へと入ります。また、規律の中にはC棟に行くためにマクフィアソンとコーリーから許可が必要である事も含まれておりました。

 

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そしてコーリーと接触したテディとチャックは、彼の口から「レイチェルが脱走したのは、昨晩の22時から0時の間である」「レイチェルは、施設裏の池で子供を1人ずつ頭を押さえて溺死させ死体を台所に運んだ後、食事をしている所を発見した」と告げられます。

 

コーリーの話はまだ続きます。「心が病んでいるレイチェルは自分の子供達がまだ生きているものだと思い込んでおり、この病院施設も自分の自宅であると信じていた」と。ちなみに、レイチェルの夫は既に死んでおりました。どうやらレイチェルという女は入所してから2年間、自分で空想の世界を創って自分の感情をコントロールし、現実逃避をしていたとコーリーから伝えられます。

 

コーリーから話を聞いたテディは、そんなレイチェルが勝手に脱走するとは思えないと考え、何か理由があるのではと彼女が生活していた部屋を調査する事にします。

 

謎の紙切れ

 

部屋には入り口と鉄格子が付けられた窓、そしてベッドだけでした。また、靴が置き捨てられており、それを見たコーリーは「レイチェルは裸足で脱走した」と言います。施設の周囲は、荒れ地や森がたくさんあり裸足なんてありえないと思ったテディでしたが、ふと下を見ると小さな紙切れがある事に気付きます。その謎の紙切れには・・・。

 

「4の法則 67番目は誰?」と書かれておりました。この意味不明な言葉に困惑するテディは、レイチェルの逃走ルートを調べる為にも島全体を探索しました。すると考え付いたのが、隣の島まで18キロ離れており泳いで渡る事は不可能である・泳いで溺死したとしても海流の関係で陸に押し戻されるはずである・断崖の所々にある毒性の植物によって歩く事は不可能であるとし、レイチェルは島の何処かに必ず潜伏していると推測します。

 

また、探索していると1つの灯台を発見しますが、コーリーからは「ただの下水道施設で、既に探索済みである」と言われます。その後施設へと戻ったテディは、施設の職員達に聞き込みを開始します。そして「レイチェルを担当した医師がシーアンという男である」と聞き出しますが、休暇に入った彼はアメリカ本土へと帰省してしまっていたのでした。レイチェル発見への鍵を握っているのがシーアンだと睨むテディ。

 

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そして迎えた夜、コーリー院長の館で夕食に誘われたテディとチャックは、そこでドイツ人医師であるナーリングという男と出会います。また、部屋で流れるマーラーのピアノ四重奏イ短調を聴いて亡き妻との回想シーンに包まれたテディ。この知らないはずの曲にどこか懐かしさを覚えたテディでした。その後正気に戻ったテディは、コーリーとナーリングとの会話中にシーアン医師の個人情報を要求しますが、2人に揃って拒否されます。
 

シャッターアイランドに来たもう1つの理由

 

コーリーの館を後にしたテディは、翌朝チャックを引き連れ森の中を探索しますが収穫は得られません。そこにいきなり島全体を襲う激しい嵐が到来します。近くにあった小屋でしばらく避難していると偶然、テディとチャックの行方を追っていたマクフィアソンに拾われ、施設へと戻るとコーリーが会議を行っている最中でした。そこでコーリーが発した施設内の収容人数「A棟とB棟合わせて42人、C棟は24人」という言葉にピンときたテディ。その数は、あの紙切れにあった67番目?という言葉に関係しているのではないかと。しかし、コーリーに笑われ軽く流されてしまいます。その後、船が欠航し島に留まる事を余儀なくされたテディとチャックは、レイチェルの捜査を続行する事となります。また、やたらと島の捜査に拘るテディを見て何か違和感を感じたチャック。実は、テディにはシャッターアイランドに来たもう1つの理由があったのです。それは亡き妻・ドロレス(ミシェル・ウィリアムズ)と住んでいたアパートで、彼女を火で焼き殺したアパートの元管理人・レディスがこの島に収容されているという情報をテディが掴んでいたからでした。

 

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そして、再び聞き込みを開始し施設の職員や患者にレディスの情報を聴収しようとしますが、皆が誰かに口合わせをされたのか同じ回答しか返ってきません。しかし、しばらくして「脱走していたレイチェルがいきなり病院に戻ってきた」とコーリーから聞かされます。そして、彼女を尋問するテディ。彼女は相変わらず病院を自宅だと思い込み、子供を殺したとは思っていません。また、テディを亡き夫と間違えて抱き着いてきたのでした。その後激しい偏頭痛に襲われたテディは、その場を後にしコーリーから貰った薬を飲みこみベッドに横たわりますが、亡き妻・ドロレスやレイチェルが殺した子供が夢に出てきてうなされてしまいます。

 

そして、嵐の影響で施設内の有刺鉄線が寸断され、聞き込みが無理ならC棟にレディスの手がかりがあるはずだと睨んだテディは、チャックと一緒に禁断のC棟へと潜入します。すると、レディスがこの島で収容されていると教えてくれたジョージ・ノイス再び牢に閉じ込められていたのです。さらに彼は、テディの事を「お前がレディスである」「俺をボコボコにしたのも牢に閉じ込めたのもお前だ」と言ってきたのです。果たして、これは一体どういう事なのか?

 

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また施設内で捜査してる内に入手した、灯台で人体実験(ロボトミー手術)を行っているという話。そして、チャックの制止を振り切り灯台へと向かったテディの前に現れるもう1人のレイチェル。病院で見たレイチェルは、一体誰だったのか?謎の紙切れに書かれていた本当の意味とは?

 

テディは、やがて知りたくなかった本当の真実を目の当たりにしてしまうのです( ゚Д゚)

 

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 ※レオナルド・ディカプリオ映画の前記事

 

大友家の双璧「風神と雷神」

※目次

 

やはり戦国時代と言えば織田信長を中心とした日本の真ん中辺りが賑わってしまいがちですが、日本という小さな国なれど戦国時代はとても広く、そして奥が深いんですよね。

 

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また、有名な大名が各地に存在すると同時にその大名達を支えた政治家・策士・・・そして猛将といった数多の将星も存在しました。今回は、その「猛将」に視点を置いてみようと思います。

 

戦国時代の猛将と言えばまず一番先に名前が出てくるのが真田信繁(幸村)ではないでしょうか。続いて上がってくるのが本田忠勝・柴田勝家・島津義弘・北条綱成といった面々となってくると思われます。今回は、そんな有名な猛将達に負けずと劣らない猛将2人を記事に載せたいと思います( ゚Д゚)

 

風神・高橋紹運

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大友家において立花道雪と双璧を成した猛将で「西国無双」で知られる立花純虎(宗茂)の実父に当たる人物です。

 

豊後三老の1人である吉弘鑑理を父に持つ紹運は、大友家の中でも限られた豪族の1人でした。また、双璧と言えど道雪とは30歳近く年齢が離れており、道雪を自らの師として尊敬しておりました。道雪もまた紹運の持ち前の武勇と義理の篤い人柄に惚れ、男子がいなかった事もあって紹運の嫡男・純虎を養子にくれとお願いする程でした。尊敬する道雪にそこまでお願いされたら紹運は断れません。そして、高橋家を去る純虎に「お前は、これから立花の人間だ。もし、私が道雪殿と敵対する時は迷わず私を討て!」と。まさしく武士道を行く男の言葉ですよね。

 

岩屋城の戦い

 

さらに、紹運を語る上で一番となるのが島津軍との「岩屋城の戦い」でしょう。島津軍4万に対して、紹運軍はわずか763名。戦う前から負け確定といった状況で紹運は徹底抗戦します。そして、激しく抵抗する紹運に島津軍は降伏を促しました。すると紹運の口から「主家が栄えている時には忠節を尽くし、主家が存亡の時に降伏する人間は鳥獣以下である!」と吠えたのでした。この紹運の一声に敵味方関係なく歓声が上がったそうです。その後紹運は寡兵ながら島津軍に突撃し、島津兵3千人を道連れに玉砕したのでした。

 

戦後、紹運の首実検を行った島津軍の総大将である島津忠長(島津四兄弟の甥)は、紹運の首を見て「我々は古今稀に見る英雄を死なせてしまった。味方だったならきっと良き友でいられただろうに」とその死を涙ながら惜しんだそうです。また、紹運の奮戦で受けた多大な犠牲によって島津軍は軍の再編成を行わなければならず、それによって援軍に駆け付けてきた豊臣軍の九州上陸を許してしまう事となるのでした。結果、紹運の奮迅の活躍が島津家の九州統一の野望を打ち砕いたのです。

 

雷神・立花道雪

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立花山城城督として筑前(現在の福岡)を守り、仁王像となって毛利家と竜造寺家に睨みをきかせていた大友家中屈指の猛将です。道雪は、主君である大友宗麟が総大将として出陣した事を除いたら、戦場で百戦百勝を達成したとんでもない男なのです。

 

また、家中で唯一主君の宗麟に諫言出来る人物でもありました。数少ないキリシタン大名としても有名な大友宗麟は、有能ではありましたがかなりの変わり者でした。実際、宗麟によって家中が乱された事は多く、その度に道雪は諫言し宗麟の暴走を食い止めておりました。このことからも察する通り道雪は、大友家にとって唯一無二の存在だったのです。

 

落雷

 

道雪と言えば大きな輿に乗って出陣する事でも有名ですが、若い頃に落雷に遭って左足が使えなくなります。また、その時に自分の刀に落雷の跡が残った事がきっかけでその刀を「雷切」と名付けました。その後道雪は、戦の度に輿に乗っては出陣し龍造寺隆信鍋島直茂毛利元就小早川隆景といった錚々たる面々と何度も激戦を繰り広げました。

 

そんな彼の武勇は遠く離れた東海地方にまで轟き、あの武田信玄「道雪という男と一度面会してみたい」と言わしめた程でした。

 

道雪の忠勇

 

一度は九州一の勢力となり隆盛を極めた大友家でしたが、島津家との大局を決めるべく臨んだ「耳川の戦い」で大敗北した事によって、この時から大友家の急転直下とも言える衰退が始まってしまいます。道雪は、この戦には参加しておらず徹底して反対しておりました。にも拘わらず宗麟はこの戦いを強行したのです。

 

それ以降、大友家の勢威が大きく損なわれ道雪は各地で頻発する反乱分子に対応を追われ続ける事となります。また、道雪の元に「下れ!重用するぞ!」とたくさんのスカウトマンが訪れますが、徹底して大友家への忠節を貫き通します。そして晩年、盟友・高橋紹運の必死の看病も虚しく、戦いに明け暮れた一生を終えたのでした。

 

以上となります。

 

これぞ不屈の猛将と言える2人の英雄の武勇伝でした( ゚Д゚)

 

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 ※戦国時代の前記事

 

傑出した逸材を見抜いた男達

※目次

 

戦国時代と言えば三英傑とされる織田信長豊臣秀吉徳川家康なんかは誰もが知る有名人物と言えるでしょう。その他にもこの乱世を駆け抜けた武田信玄・上杉謙信・毛利元就・伊達政宗・島津四兄弟らも有名ですよね。

 

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こちらの記事では、そういった「傑出した逸材を見抜いた男達」を何人か上げていきたいと思います。

 

※あくまで自分が得た知識の範囲内です

 

まずは・・・。

 

織田信秀

 

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「尾張の虎」と呼ばれた名将信秀は、信長の父に当たる人物です。当初の信長は世間でも有名な「大うつけ者」と評判されており、尾張の筆頭家老で信長の世話役をしていた平手正秀ですら信長と織田家の将来を心配しておりました。

 

また、信長の母や実の弟である信勝(信行)、重臣の林秀貞(通勝)らも信長の事を見下しており、弟の信勝を次期後継者として擁立しておりました。さらにこの者達は、当主である信秀にも信長に対する様々な讒言を行っております。

 

しかし、信秀はそんな讒言も聞く耳は持たず信長に居城の那古野城を任せたり、臨終の際もあっさりと信長に家督を譲ったのです。これらをみても信秀と信長との間に深い信頼関係があった事が伺えます。また、信長が実際よく行った政略結婚や居城移転、将軍家との外交も父・信秀からの影響とされております。

 

大原雪斎

 

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「海道一の弓取り」と言われた戦国時代屈指の大名・今川義元の軍師に当たる人物です。知勇兼備の名将である彼が今川家に与えた影響は数知れず、かの有名な甲・相・駿同盟も彼の主導の元でした。

 

実は、大原雪斎は青年期における徳川家康の師匠だったのです。家康を立派に育て上げたのは雪斎といっても過言ではありません。また、雪斎は一度もあった事のない信長の器量まで見抜いておりました。それもあってか再三に渡って主君である義元に「信長には注意しろ」と呼びかけておりました。もはや恐ろしいですよね。

 

戦国時代で一番有名だと言える桶狭間の戦い。この時には、すでに雪斎は他界しておりました。もし、雪斎が生きておれば桶狭間の戦いは今川義元の勝利であったと言われる程の人物だったのです。

 

朝倉宗滴

 

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越前の朝倉家を戦国時代屈指の大名に仕立て上げた知勇兼備の闘将です。特に彼は武勇に秀で、彼の存命中は誰も朝倉家に手が出せなかった程です。反面、彼が死んでからは朝倉家が滅亡の一途を辿っていく事となります。

 

そんな宗滴ですが、まだ一度もあった事のない信長の器量を見抜いていたそうです。臨終の際には「後3、4年は生きたかった。やり残した事はないが、織田上総介(信長)を見ていたかった」と言ったそうです。当時の信長は、桶狭間の戦い前で信秀から家督を継承して尾張統一へと動いていた時でした。

 

まだそこまで有名になっていない信長の器量を見抜いていたなんて尋常じゃないですよね。

 

島津忠良

 

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島津家中興の祖と呼ばれる島津四兄弟のじいちゃんに当たる人物です。別名「日新斎」とも呼ばれます。彼が作った「いろは歌」「郷中教育」等は、後の島津家の根本となる政策となっていきます。

 

忠良は、才知に長けた孫の島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)に対して、「義久は三州の総大将たるの才徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり」と称します。

 

特に凄いのが皆その通りに成っていく所です。家久なんかはまだ青年になったばかりの時なのに凄い予知能力ですよね。

 

伊達輝宗

 

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「独眼竜政宗」父に当たる人物です。政宗も青年期はとても苦労しました。特に、実の母親である義姫(最上義光の妹)に、片目しかない自分を見られて滅茶苦茶キモがられていたそうです。

 

説明で少し信長と被る所がありますが、そんな義姫は政宗の弟である伊達正道(小次郎)に家督を継がせようと再三に渡って政宗を苦しめ、当主の輝宗にも口添えしますが輝宗は聞く耳持ちません。むしろ、政宗を正統継承者にする為に英才教育を施す程でした。

 

そんな輝宗と政宗ですが、辛くて過酷な事件が2人を襲ってしまいます。なんと輝宗が二本松城主の畠山義継に拉致され人質になってしまうのです。政宗は、父を助けに二本松城へと向かいますが、父が人質とされている為手が出せません。そこで輝宗は「お前は、伊達家の当主であろう。父にかまわず撃て!家に禍根を残すな!」と言い放ちます。そして、政宗は涙ながら最愛で自分の一番の理解者である父親を射殺してしまう事となります。おそらくこの事件が政宗を大きく、そして強くさせたんだと思えますね。

 

見抜ききれなかった人物 

 

斎藤道三

 

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「美濃のマムシ」と恐れられた美濃の戦国大名です。道三は、元々一介の油売りから始まり美濃一国の領主にまで昇りつめた当時の下克上を代表する人物としても有名です。彼が信長と正徳寺で会見して「うつけ者」と評判の信長に一杯食わされ、それから「信長が後の美濃の統治者になるであろう」と予言した話は有名ですよね。

 

そんな道三も信長の事は認めつつも「灯台下暗し」でした。嫡男の義龍を「能無し」と勝手に決めつけ煙たがっていたのでした。結果、義龍との親子関係に亀裂が入り最終的には息子の謀反(長良川の戦い)に遭い戦死してしまいます。

 

戦中に義龍の見事な布陣と采配を見て「我、見誤った」と言ったそうです。実際、義龍の存命中はあの信長でさえもその卓越した手腕に苦労した程だったのですから。でも、義龍もすぐ病死してしまいますけどね。

 

武田信虎

 

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「甲斐の虎」として有名な武田晴信(信玄)の父です。嫡男の晴信とは政策の面でも性格の面でも相容れず、信虎は晴信の弟・信繁に家督を譲ろうとします。最終的には、武一辺倒な彼が行った苛烈な政策が晴信や家臣団からの反発を招き、晴信の手によって駿河へと追放されてしまいます。

 

以後、二度と甲斐に戻る事がなかった信虎ですが着々と勢力を広げていく晴信をみて、想像ではありますが陰で満足していたのかもしれません。また、自分の判断が間違っていたと気付かされた事もあり故郷に戻り辛かったのかもしれません。

 

以上となります。

 

他にも、掘ればいっぱい出てきそうですが一番記事にしたかった面々です( ゚Д゚)