色んなアンサー

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大友家の双璧「風神と雷神」

※目次

 

やはり戦国時代と言えば織田信長を中心とした日本の真ん中辺りが賑わってしまいがちですが、日本という小さな国なれど戦国時代はとても広く、そして奥が深いんですよね。

 

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また、有名な大名が各地に存在すると同時にその大名達を支えた政治家・策士・・・そして猛将といった数多の将星も存在しました。今回は、その「猛将」に視点を置いてみようと思います。

 

戦国時代の猛将と言えばまず一番先に名前が出てくるのが真田信繁(幸村)ではないでしょうか。続いて上がってくるのが本田忠勝・柴田勝家・島津義弘・北条綱成といった面々となってくると思われます。今回は、そんな有名な猛将達に負けずと劣らない猛将2人を記事に載せたいと思います( ゚Д゚)

 

風神・高橋紹運

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大友家において立花道雪と双璧を成した猛将で「西国無双」で知られる立花純虎(宗茂)の実父に当たる人物です。

 

豊後三老の1人である吉弘鑑理を父に持つ紹運は、大友家の中でも限られた豪族の1人でした。また、双璧と言えど道雪とは30歳近く年齢が離れており、道雪を自らの師として尊敬しておりました。道雪もまた紹運の持ち前の武勇と義理の篤い人柄に惚れ、男子がいなかった事もあって紹運の嫡男・純虎を養子にくれとお願いする程でした。尊敬する道雪にそこまでお願いされたら紹運は断れません。そして、高橋家を去る純虎に「お前は、これから立花の人間だ。もし、私が道雪殿と敵対する時は迷わず私を討て!」と。まさしく武士道を行く男の言葉ですよね。

 

岩屋城の戦い

 

さらに、紹運を語る上で一番となるのが島津軍との「岩屋城の戦い」でしょう。島津軍4万に対して、紹運軍はわずか763名。戦う前から負け確定といった状況で紹運は徹底抗戦します。そして、激しく抵抗する紹運に島津軍は降伏を促しました。すると紹運の口から「主家が栄えている時には忠節を尽くし、主家が存亡の時に降伏する人間は鳥獣以下である!」と吠えたのでした。この紹運の一声に敵味方関係なく歓声が上がったそうです。その後紹運は寡兵ながら島津軍に突撃し、島津兵3千人を道連れに玉砕したのでした。

 

戦後、紹運の首実検を行った島津軍の総大将である島津忠長(島津四兄弟の甥)は、紹運の首を見て「我々は古今稀に見る英雄を死なせてしまった。味方だったならきっと良き友でいられただろうに」とその死を涙ながら惜しんだそうです。また、紹運の奮戦で受けた多大な犠牲によって島津軍は軍の再編成を行わなければならず、それによって援軍に駆け付けてきた豊臣軍の九州上陸を許してしまう事となるのでした。結果、紹運の奮迅の活躍が島津家の九州統一の野望を打ち砕いたのです。

 

雷神・立花道雪

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立花山城城督として筑前(現在の福岡)を守り、仁王像となって毛利家と竜造寺家に睨みをきかせていた大友家中屈指の猛将です。道雪は、主君である大友宗麟が総大将として出陣した事を除いたら、戦場で百戦百勝を達成したとんでもない男なのです。

 

また、家中で唯一主君の宗麟に諫言出来る人物でもありました。数少ないキリシタン大名としても有名な大友宗麟は、有能ではありましたがかなりの変わり者でした。実際、宗麟によって家中が乱された事は多く、その度に道雪は諫言し宗麟の暴走を食い止めておりました。このことからも察する通り道雪は、大友家にとって唯一無二の存在だったのです。

 

落雷

 

道雪と言えば大きな輿に乗って出陣する事でも有名ですが、若い頃に落雷に遭って左足が使えなくなります。また、その時に自分の刀に落雷の跡が残った事がきっかけでその刀を「雷切」と名付けました。その後道雪は、戦の度に輿に乗っては出陣し龍造寺隆信鍋島直茂毛利元就小早川隆景といった錚々たる面々と何度も激戦を繰り広げました。

 

そんな彼の武勇は遠く離れた東海地方にまで轟き、あの武田信玄「道雪という男と一度面会してみたい」と言わしめた程でした。

 

道雪の忠勇

 

一度は九州一の勢力となり隆盛を極めた大友家でしたが、島津家との大局を決めるべく臨んだ「耳川の戦い」で大敗北した事によって、この時から大友家の急転直下とも言える衰退が始まってしまいます。道雪は、この戦には参加しておらず徹底して反対しておりました。にも拘わらず宗麟はこの戦いを強行したのです。

 

それ以降、大友家の勢威が大きく損なわれ道雪は各地で頻発する反乱分子に対応を追われ続ける事となります。また、道雪の元に「下れ!重用するぞ!」とたくさんのスカウトマンが訪れますが、徹底して大友家への忠節を貫き通します。そして晩年、盟友・高橋紹運の必死の看病も虚しく、戦いに明け暮れた一生を終えたのでした。

 

以上となります。

 

これぞ不屈の猛将と言える2人の英雄の武勇伝でした( ゚Д゚)

 

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 ※戦国時代の前記事