色んなアンサー

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第43・44・45話を斬る

※目次

 

群雄達の策略編・・・。

 

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第43話 咸陽からの撤退

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※魏豹
 

秦兵の助命を項羽に懇願していた章邯(ショウカン)でしたが、その願いも虚しく秦兵20万人全てが生き埋めにされてしまい「己が楚に降伏してしまったからこのような結末に至ったのだ」と自責の念にかられてしまいます。またその頃、項羽の護衛兵を務めていた韓信は項羽の残虐非道な行いに見切りを付け、懇意にしている鐘離眜(ショウリバツ)に別れを告げて楚の陣営から出奔したのでした。

 

一方、咸陽で秦を滅ぼしてから有頂天になって遊び惚けていた漢の劉邦でしたが、自軍の要所である嶢関(ギョウカン)が項羽の襲来を受けた事によって一変し、咸陽が慌ただしくなってしまいます。さらに、旗揚げ当初から自分に付き従っていた曹無傷(ソウムショウ)が部下同士のいざこざで腹を立て、楚に内通してしまうのでした。

 

漢軍の現状を危惧した張良は、必死に劉邦を諫めますが「項羽とは、義兄弟であるから我々を襲うはずがない。秦を滅ぼした我々が富貴を楽しんで何が悪い?」と言われ、すでに天下取りへの大志を失っている劉邦に愕然とし、咸陽から離れて出奔しようとしましたが、蕭何(ショウカ)が懸命にそれを阻止してきたので一旦思いとどまったのでした。そんな時、項羽の叔父である項伯が張良の幕舎へと訪れてくるのです。

 

第44話 鴻門の会

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※薄姫
 

項伯は、張良に「曹無傷から今が攻めるチャンスであると告げられた甥の項羽が劉邦を攻める決断を下した!私と一緒に楚の陣営に逃げるのだ!」と言います。過去に一度、張良に命を救われた事がある項伯は、その恩義を返そうと一人で張良の幕舎を訪れたのでした。しかし、張良は恩義のある劉邦を見限る事など出来ず、拒む項伯に対して強引に劉邦と蕭何をくっ付け、項羽への仲裁を依頼したのでした。

 

劉邦、張良、蕭何の3人に囲まれ断れなくなった項伯は「必ず甥を説得して話し合いの場を作る」と約束し、その場を後にしました。これが世に名高い「鴻門の会」です。そして、項羽の幕舎に戻った項伯は懸命になって項羽を説得し、劉邦との話し合いの場を設けたのでした。ただ、范増は以前として「劉邦を宴席で殺してしまうべきだ」とし、項羽もこの時点では劉邦を殺すつもりでした。しかし・・・。

 

宴席が始まってしまうと劉邦の咸陽での行いに対して范増が4つの説(察せられず、臣たらず、仁たらず、義に欠ける)で劉邦を責め立て窮地に追いやり、項羽に殺させようとしますが劉邦が毅然として反論してきたため、項羽は劉邦の殺害を取り止めます。さらに劉邦は「咸陽にある財は、全て無傷で全て項王(項羽)のモノです。項王に逆らうつもりはありません!」と項羽を安心させました。意思のはっきりしない項羽に呆れた范増は、今度は項羽の一族である項荘に宴席の場で剣舞を披露するよう命じ、独断で劉邦の殺害を企てます。

 

しかし、ここでも項伯が劉邦の盾となって項荘の剣舞の邪魔をしてきたので劉邦を殺害する事が出来ません。さらに、劉邦の右腕である猛将・樊噲(ハンカイ)も宴席に加わってきたので劉邦の殺害が難しくなってしまうのでした。

 

第45話 咸陽炎上

 

宴席の場で身の危険を察知した劉邦は、厠に行くと言って宴席を後にしそのまま漢の陣営へと馬を走らせます。劉邦が逃亡した事を知った范増は、英布に命じて劉邦に追っ手を差し向けましたが捕まえる事が出来ませんでした。こうして鴻門の会は、幕を閉じるのです。范増はその後、怒り狂って「小僧(項羽)とは、計り事が出来ぬ!」と言って杖を床に叩きつけたそうです。

 

軍営に命からがら逃げ延びる事が出来た劉邦は、蕭何から曹無傷が書いた楚への密書を手にし、その場に曹無傷を呼び付けます。そして、曹無傷に事実を吐かせると旗揚げ当初から運命を共にしてきた盧綰(ロワン)や樊噲(ハンカイ)らの怒りが爆発してしまい、皆で一斉に曹無傷を刺殺したのでした。

 

その頃、咸陽へと入城した項羽は楚を滅ぼして武力で中国を統一した秦の始皇帝のやり方を批判します。また、咸陽に各諸侯を集め論功行賞を行い自らを「楚の覇王」と位置付け、各諸侯の盟主となります。ただ、意外な事に「秦が滅んだ今、戦を止めて我々は故郷に戻るべきだ」と項羽は発言し、天下取りの意志が無い事を明らかにしました。

 

項羽の言葉を聞いて楚による天下統一を切に願っていた范増は、言葉を失ってしまいます。さらに項羽は「秦王やその一族を根絶やしにし、秦が築いた咸陽を焼き討ちにしないと楚の仇討ちが果たされない」とし、秦王とその一族の殺害と咸陽の焼き討ちを決行します。そんな事をしたら項羽の名が地に落ちてしまうと同時に秦に一度投降を許した劉邦の名が天に昇ってしまうであろうと范増は猛反対しますが、項羽は一切耳を貸さず決行してしまうのでした。こうして秦兵20万人の皆殺しに続き今回の一件で項羽の名が完全に地に落ちてしまい、中国全土に暴君のイメージを植え付けてしまうのでした。

 

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第40・41・42話を斬る

※目次

 

「項羽と劉邦 Kings War」の第1話から記事を書き続けて第40話を迎えた今、ついに折り返し地点に到達しました。ここから項羽と劉邦の両雄が本格的に激突してクライマックスを迎える事となります。

 

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引き続き、この「楚漢戦争ドラマ」を堪能して頂ければ私も非常に光栄の限りにございます<(_ _)>

 

それでは、早速!

 

群雄達の策略編・・・。

 

第40話 趙高誅殺

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※酈食其
 

秦の名将・章邯(ショウカン)と秦兵20万人が楚に投降した事によってもはや風前の灯火となった秦帝国。また、楚を始め斉や趙といった六国と称される国々もそれぞれが独立した事によって秦による帝政を維持する事は不可能と言える状態となりました。そこで宦官の趙高は、扶蘇の太子である子嬰(シエイ)を皇帝ではなく「秦王」として擁立し、亡き者にした胡亥(コガイ)と同様に子嬰を傀儡化して劉邦が咸陽に攻め入ってきた際には、子嬰を差し出して自身が生き延びられるように画策します。

 

ところが、趙高の陰謀が子嬰の耳へと漏れ伝わります。生き別れた子嬰の娘と秦に忠誠を誓う1人の宦官によって。そこで子嬰は、趙高の誅殺を決意したのでした。まず、趙高が用意した王の即位式に仮病を装って欠席し、一刻も早く子嬰に即位して欲しいと望む趙高の感情を揺さぶります。さらに、重病を患ったので自分の屋敷に参内して欲しいと趙高に促したのでした。

 

そして、ついに子嬰の動向に苛立ちを覚えた趙高が1人で子嬰の屋敷へと訪問します。剣を携えた子嬰達は、一斉に趙高を取り囲みその眼前に剣を突き付けました。そして当初は助命を懇願した趙高でしたが、もはや助からないと悟ったのか次第に開き直り「秦は、1人の宦官によって滅亡してしまったのだ!」と高笑いを浮かべ、子嬰に斬り殺されるのです。ここに、悪名名高き趙高が最後を迎えたのでした。

 

第41話 法三章

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※陳平
 

全ての諸悪の根源を断ち切った子嬰と秦でしたが、すでに劉邦軍は秦の最後の砦とされていた嶢関(ギョウカン)と呼ばれる要所を無血開城させ、都の咸陽(カンヨウ)にまで迫っておりました。さらに、劉邦から降伏勧告まで受けてしまいます。

 

もはや抵抗する術が無い子嬰は「最後まで戦って秦の意地を見せてやりましょう!」と逸る家臣達の進言を退け「無用な戦は、民を苦しめるだけだ」とし、白装束に着替えて劉邦への帰順を決断したのです。ここに、中国史上初めて皇帝を名乗り帝政を中国全土に振りまいた秦帝国が滅亡したのでした。

 

秦王・子嬰を降伏させ秦の都・咸陽に生まれて初めて入城した劉邦は、よそ者の来襲で混乱している咸陽の民衆達を落ち着かせるために秦の法律の廃止、人を殺せば死罪、人への障害と盗難は厳罰に処するといった「法三章」を定めました。

 

ところが、元々田舎育ちの劉邦一派は都の華やかさにうっかり羽目を外してしまうのです。それは、好色な劉邦が胡亥の遺した元妃達を自分のモノとし、さらに軍全体に「三日間の休息を与える」としたからでした。そのため咸陽では、兵士達による略奪や強姦が多発してしまいます。

 

第42話 秦兵の反乱

 

一方、章邯を降伏させ秦兵20万人を取り込んだ楚軍でしたが、深刻な問題が浮上してきます。それは、降伏を受けた事によって生じた人員の増大による食糧問題でした。また、食事の面でも秦の降伏兵達は元々楚にいた兵達の半分以下の量です。結果、この差別によって秦の降伏兵達の不満が爆発してしまい、食糧を巡って小規模な反乱を起こしてしまいます。

 

そして、反乱を鎮圧したのが楚の将軍・龍且(リュウショ)でした。反乱の報告を受けた項羽も軍議を開き、これといった食糧解決策が無いながらも「秦の降伏兵と楚の兵との食糧を同等にしよう」と布令を出します。秦兵を統率していた司馬欣も章邯と相談して反乱の対策に頭を悩ませます。しかし、1度起きた事は2度あるように秦の降伏兵達の腹の虫が収まりません。

 

そしてついに、秦の降伏兵達はまとまった大規模な反乱を起こしてしまい、項羽の逆鱗に触れてしまうのでした。そして、項羽は「このままでは我々も飢え死にしてしまう。秦兵を皆殺しにするしかない」と口を開きます、当然、そんな事をしてしまったら天下の人心を失ってしまうと猛反対した范増や鐘離眜(ショウリバツ)らでしたが、かといって有効な解決策が浮かび上がりません。

 

ずっと沈黙が続く楚の軍営・・・。そこで范増が静かに重い口を開きます。「もう、殺すしか方法はない」と。その後、范増は秦兵20万人を全て皆殺しに出来るよう大掛かりな落とし穴を作ってそこに秦兵を誘導して生き埋めにしたのでした。やがて、この事件がきっかけとなって項羽は天下の人心を大いに失う形となり、また秦兵全てを見殺しにする形となってしまった章邯と司馬欣も秦の民衆達から深く恨まれてしまう事となるのです。

 

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 楚の武将データ

※目次

 

物語も中盤に差し掛かった所で楚の武将データを作ってみました( ゚Д゚)

 

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武将名・統率力・武力・知力・政治力・洞察力・人徳の順番に表記し、最大数値を200とします

 

項一族

 

項羽

統率力192、武力200、知力142、政治力75、洞察力104、人徳22

 

項梁

統率力176、武力172、知力150、政治力112、洞察力88、人徳164

 

項伯

統率力144、武力127、知力149、政治力150、洞察力112、人徳170

 

軍師

 

范増

統率力150、武力12、知力195、政治力152、洞察力200、人徳158

 

将軍

 

鐘離眜(ショウリバツ)

統率力180、武力186、知力152、政治力108、洞察力146、人徳150

 

希布

統率力181、武力181、知力158、政治力174、洞察力168、人徳153

 

龍且(リュウショ)

統率力174、武力193、知力105、政治力69、洞察力80、人徳115

 

桓楚

統率力170、武力189、知力118、政治力92、洞察力100、人徳105

 

虞子期(グシキ)

統率力151、武力162、知力120、政治力107、洞察力101、人徳137

 

おまけ

 

懐王(カイオウ)

統率力8、武力19、知力57、政治力118、洞察力32、人徳163

 

宋義

統率力83、武力32、知力169、政治力134、洞察力110、人徳59

 

英布

統率力178、武力194、知力111、政治力114、洞察力93、人徳106

 

以上となりました。

 

毎度のように数値に関しましては、私個人の見解ですので予めご了承ください<(_ _)>また、武将の数においても思い付く限り記述しただけなので数が少ないです。

 

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