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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第40・41・42話を斬る

※目次

 

「項羽と劉邦 Kings War」の第1話から記事を書き続けて第40話を迎えた今、ついに折り返し地点に到達しました。ここから項羽と劉邦の両雄が本格的に激突してクライマックスを迎える事となります。

 

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引き続き、この「楚漢戦争ドラマ」を堪能して頂ければ私も非常に光栄の限りにございます<(_ _)>

 

それでは、早速!

 

群雄達の策略編・・・。

 

第40話 趙高誅殺

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※酈食其
 

秦の名将・章邯(ショウカン)と秦兵20万人が楚に投降した事によってもはや風前の灯火となった秦帝国。また、楚を始め斉や趙といった六国と称される国々もそれぞれが独立した事によって秦による帝政を維持する事は不可能と言える状態となりました。そこで宦官の趙高は、扶蘇の太子である子嬰(シエイ)を皇帝ではなく「秦王」として擁立し、亡き者にした胡亥(コガイ)と同様に子嬰を傀儡化して劉邦が咸陽に攻め入ってきた際には、子嬰を差し出して自身が生き延びられるように画策します。

 

ところが、趙高の陰謀が子嬰の耳へと漏れ伝わります。生き別れた子嬰の娘と秦に忠誠を誓う1人の宦官によって。そこで子嬰は、趙高の誅殺を決意したのでした。まず、趙高が用意した王の即位式に仮病を装って欠席し、一刻も早く子嬰に即位して欲しいと望む趙高の感情を揺さぶります。さらに、重病を患ったので自分の屋敷に参内して欲しいと趙高に促したのでした。

 

そして、ついに子嬰の動向に苛立ちを覚えた趙高が1人で子嬰の屋敷へと訪問します。剣を携えた子嬰達は、一斉に趙高を取り囲みその眼前に剣を突き付けました。そして当初は助命を懇願した趙高でしたが、もはや助からないと悟ったのか次第に開き直り「秦は、1人の宦官によって滅亡してしまったのだ!」と高笑いを浮かべ、子嬰に斬り殺されるのです。ここに、悪名名高き趙高が最後を迎えたのでした。

 

第41話 法三章

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※陳平
 

全ての諸悪の根源を断ち切った子嬰と秦でしたが、すでに劉邦軍は秦の最後の砦とされていた嶢関(ギョウカン)と呼ばれる要所を無血開城させ、都の咸陽(カンヨウ)にまで迫っておりました。さらに、劉邦から降伏勧告まで受けてしまいます。

 

もはや抵抗する術が無い子嬰は「最後まで戦って秦の意地を見せてやりましょう!」と逸る家臣達の進言を退け「無用な戦は、民を苦しめるだけだ」とし、白装束に着替えて劉邦への帰順を決断したのです。ここに、中国史上初めて皇帝を名乗り帝政を中国全土に振りまいた秦帝国が滅亡したのでした。

 

秦王・子嬰を降伏させ秦の都・咸陽に生まれて初めて入城した劉邦は、よそ者の来襲で混乱している咸陽の民衆達を落ち着かせるために秦の法律の廃止、人を殺せば死罪、人への障害と盗難は厳罰に処するといった「法三章」を定めました。

 

ところが、元々田舎育ちの劉邦一派は都の華やかさにうっかり羽目を外してしまうのです。それは、好色な劉邦が胡亥の遺した元妃達を自分のモノとし、さらに軍全体に「三日間の休息を与える」としたからでした。そのため咸陽では、兵士達による略奪や強姦が多発してしまいます。

 

第42話 秦兵の反乱

 

一方、章邯を降伏させ秦兵20万人を取り込んだ楚軍でしたが、深刻な問題が浮上してきます。それは、降伏を受けた事によって生じた人員の増大による食糧問題でした。また、食事の面でも秦の降伏兵達は元々楚にいた兵達の半分以下の量です。結果、この差別によって秦の降伏兵達の不満が爆発してしまい、食糧を巡って小規模な反乱を起こしてしまいます。

 

そして、反乱を鎮圧したのが楚の将軍・龍且(リュウショ)でした。反乱の報告を受けた項羽も軍議を開き、これといった食糧解決策が無いながらも「秦の降伏兵と楚の兵との食糧を同等にしよう」と布令を出します。秦兵を統率していた司馬欣も章邯と相談して反乱の対策に頭を悩ませます。しかし、1度起きた事は2度あるように秦の降伏兵達の腹の虫が収まりません。

 

そしてついに、秦の降伏兵達はまとまった大規模な反乱を起こしてしまい、項羽の逆鱗に触れてしまうのでした。そして、項羽は「このままでは我々も飢え死にしてしまう。秦兵を皆殺しにするしかない」と口を開きます、当然、そんな事をしてしまったら天下の人心を失ってしまうと猛反対した范増や鐘離眜(ショウリバツ)らでしたが、かといって有効な解決策が浮かび上がりません。

 

ずっと沈黙が続く楚の軍営・・・。そこで范増が静かに重い口を開きます。「もう、殺すしか方法はない」と。その後、范増は秦兵20万人を全て皆殺しに出来るよう大掛かりな落とし穴を作ってそこに秦兵を誘導して生き埋めにしたのでした。やがて、この事件がきっかけとなって項羽は天下の人心を大いに失う形となり、また秦兵全てを見殺しにする形となってしまった章邯と司馬欣も秦の民衆達から深く恨まれてしまう事となるのです。

 

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