色んなアンサー

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第73・74・75話を斬る

※目次

 

最後の戦い編・・・。

 

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第73話 劉邦、射られる

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※呂雉
 

深い谷を挟んで両軍睨みあう楚と漢。項羽によって激しく煮えたぎる釜の前に自分の父親を突き出された光景を目にした劉邦は、深く動揺をきたしながらも項羽の脅しに屈しません。そこで項羽は、次の手として「我ら2人のせいでこの天下を乱してしまっている。ここはお前と俺との一騎打ちで雌雄を決し、天下を正そうではないか?」と劉邦に持ち掛けたのでした。

 

すると、劉邦は「雌雄を決するのは、武ではなく知恵で決しよう」と反論してきたので項羽のイライラが頂点に達してしまうのでした。何とかして劉邦を殺したいと願う項羽は、ここで一計を弄します。再び、話し合いたいと劉邦をおびき寄せ、隠し持っていた弓で劉邦を射殺してしまおうと。そしてこの策が功を奏し、自分の放った矢が劉邦の胸に突き刺さったのでした。

 

項羽の矢を受けた劉邦は、激しい激痛に襲われながらも軍全体に動揺をきたさない為に「惜しかったな!お前の矢は、俺のカカトを直撃しただけだぞ!痛くも痒くもないわ」と言ってその場を後にしますが、実はそれが瀕死の重傷となってしまうのです。それから、幾日立っても目を醒まさない劉邦。挙句の果てには、関中から蕭何(ショウカ)と劉邦の危篤を知った戚夫人が自分の息子・如意を太子にしてもらうべく劉邦の陣営に訪れてきたのでした。

 

一方、楚の陣営でも項羽の矢を受けてから静まり返る漢の陣営を見て鐘離眜(ショウリバツ)が「劉邦が重傷なのでは?」と勘繰り、独断で漢の陣営に奇襲を掛けますが事前に襲来を予想していた張良によって撃退されてしまいます。敗れた鐘離眜は、項羽に叱責され罷免されそうになりますが、虞子期や季布らが間に入ってくれたので処分を免れます。しかし、この戦で慎重になり過ぎた項羽のせいで劉邦が瀕死の重傷を負っているといった千載一遇のチャンスにも関わらず、項羽はそれを逃してしまうのでした。

 

第74話 迫られる決断 

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※虞姫
 

張良の読みによって鐘離眜の奇襲を撃退した功績は大きく、劉邦が回復するまでの時間稼ぎとなったのでした。しかし、それでも一向に目覚めようとしない劉邦。漢内部で味方のいない戚夫人も如意を太子にすべく焦り始め、蕭何に「今すぐ太子を決めるべきです!」と発言してしまいます。

 

それを見た呂雉派である盧綰(ロワン)や樊噲(ハンカイ)らは、戚夫人のとった行動が面白くありません。やがて我慢の限界に達した盧綰は「お前は、本当に漢王の身を案じているのか?もし、このまま王様が目覚めなかったらお前を真っ先に殺してやる!」と戚夫人に言ったのでした。こうして劉邦の跡目争いで内輪揉めが続く中、一人の女性が立ち上がります。劉邦の身の回りをお世話している薄姫でした。「今、そんな事よりも王様の命でしょ!」と。

 

そして、医者から劉邦の胸に突き刺さっている矢を抜き取れば7割の確率で助かると告げられた薄姫は、独断で劉邦の胸から矢を抜き取ったのでした。もし、それが原因で死んでしまったら・・・薄姫の思い切った決断です。その後、薄姫の決断が劉邦の回復を呼び込み、目を醒ました劉邦が薄姫に感謝を伝えたのでした。

 

第75話 楚への寝返り

 

一方、斉を治める韓信は項羽と劉邦が戦っているのをただ黙って静観しておりました。配下の曹参らに「何故、漢王に助太刀しないのか?」と問われても「今、戦っても項羽に負けるだけだ!」と言って韓信は軽く流し、項羽を攻め滅ぼすべく時期の到来を待っていたのでした。

 

梁の彭越もそんな韓信の考えを見通しているかの如く劉邦の出兵要請を断ります。勝てる見込みのない戦をしない韓信と利の無い戦をしない彭越。劉邦もそんな2人の性格を知っているだけあって深く溜息をつくだけに終わってしまいますがそこで劉邦は、ふと一計を閃きます。矢傷が元で生死を彷徨っている時に盧綰(ロワン)が戚夫人に「殺してやる!」と痛烈な言葉を浴びせていた事を知った劉邦は、盧綰を呼んで鞭打ち百叩きの刑に処したのでした。

 

その後、劉邦の処遇に不満を抱いた盧綰は項羽に投降してしまいます。そして、劉邦の幼馴染で旗揚げ当初から付き従ってきた盧綰の投降を当初は疑った項羽でしたが、盧綰の懸命な演技によって信じ込んでしまい、自らの配下にしたのです。やがて項羽の側近となった盧綰は「劉邦の太子が決まっていない。このまま楚と漢とで混着を続けていれば必ず数年の内に漢内部で大きな跡目争いが起こる」と項羽に進言し、その気にさせたのでした。その後、盧綰の進言を取り入れた項羽は漢と数年間、戦を起こさないよう和睦を結ぶために叔父の項伯を漢陣営へと赴かせたのでした。

 

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第70・71・72話を斬る

※目次

 

最後の戦い編・・・。

 

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第70話 釜茹でにされた儒学者

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※劉邦
 

残された2千の兵を使って増兵に成功した韓信は、軍備が整った所でいよいよ強国・斉へと進軍を開始します。その頃、劉邦の幕僚である儒学者・酈食其(レキイキ)が項羽との戦において以前として劣勢に立たされている漢の現状を考えて項羽と敵対している斉を味方に付けて戦局を優位に進めるべきであると劉邦に進言しました。

 

その後、劉邦は韓信が斉へ攻め入る事を知っていながらも酈食其の進言を取り入れ、彼を斉へと遣わします。どうせ味方になど付かないであろうと。ところが、斉は儒学者で有名な孔子を生んだ国もあってか酈食其は、斉王・田広や斉の宰相・田横に歓迎され挙句の果てには、漢に味方する事を約束して対韓信への攻撃に備えていた防御網まで解いたのでした。

 

「酈食其が斉を味方に付けた!」との報告は、当然韓信の元にも届きます。さて、どうしたものかと悩む韓信に蒯徹(カイテツ)は「何を躊躇なされてるのです?このままでは、貴方の戦功が一介の儒学者の舌先に負けてしまうのですよ。知らなかったと言ってこのまま斉を攻めるべきです!」と告げ、韓信に斉攻めを続行させたのでした。

 

そして、韓信への防御網を解いていた斉は意表を突かれてしまい、酈食其に騙されたと怒り狂った田広と田横は、酈食其の申す真実を知ろうともせずそのまま酈食其を釜茹でにして処刑しますが時すでに遅く、斉の本拠地である臨淄(リンシ)も攻め落とされ、強国として名を馳せた斉が韓信の前にあっけなく滅亡してしまうのでした。

 

第71話 楚と斉の同盟 

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※項羽
 

韓信に奪われた都・臨淄を遠くから見つめる田広と田横。そこには、深い憎しみと恨みしかありませんでした。そこで田横は、主君の田広に「本望ではありませんが、ここはまず耐え忍んで今まで戦ってきた宿敵である楚と同盟し、斉の国を取り戻しましょう」と進言し、田広も苦悶の表情を浮かべながらもその進言を取り入れたのでした。

 

そして、楚の彭城に同盟の使者として訪れた田横。今まで散々斉に苦しめられてきた楚が歓迎してくれはずもありません。鐘離眜(ショウリバツ)や季布らは「この際、憎き田横を殺してしまいましょう」と項羽に進言するくらいです。しかし、漢は同じ大敵であると自覚した項羽は、斉と同盟を結ぶ事を決断し配下の龍且(リュウショ)に10万の兵を与え、韓信の討伐に向かわせたのでした。

 

その後、韓信と対峙した龍且は「韓信は、油断がならない人物で警戒すべきです」と田横が心配してきたにも関わらず、自分の武を頼みとし田横の言葉に耳を貸そうともしません。やがて、韓信に河まで誘き寄せられた龍且軍は、そのまま水攻めに遭って壊滅状態となり、龍且も討ち死にしてしまうのでした。

 

第72話 仮の斉王

 

斉の国を得た韓信でしたが、酈食其との一件があった事で斉の民衆からは人道に背いた行為と見なされ以前として民心は田一族にありました。そこで蒯徹は「ここで正式に斉の国王となって民と田一族を突き放し、改めて民心を掴むべきである」と韓信に進言します。劉邦の反応を危惧した韓信でしたが半ば蒯徹に押し切られる形となり、劉邦の元へ仮の斉王にして欲しいと書かれた書簡を送ります。

 

その後、韓信からの書簡を受け取った劉邦は「ふざけるな!」と怒り狂いますが、張良から韓信に裏切られたらまずい対局を冷静に諭され「仮の王などとは言うな。正式の王となれ!」といって韓信の斉王即位を承認したのでした。一方、完全に孤立化してきた現状に焦りを見せ始める項羽は、韓信に漢からの独立を促し我々と同盟を結ぶべく使者として韓信の旧友である武渉を斉へと遣わしたのでした。

 

そして、迎えた韓信と武渉との対談。あくまで劉邦の臣下でいたい韓信は、武渉の独立の提案も同盟の提案も聞き入れません。また武渉との対談後、韓信に無限の可能性を感じている蒯徹は「今こそ第三勢力となって独立すべきです!漢と楚が戦っているのをひたすら静観し、両者が困窮せし時に漁夫の利を得て天下を統一しましょう」と。さらに「漢王は今貴方を必要としてますが、天下が統一された後はどうでしょうか?きっと貴方を警戒すると思います」と続けます。しかし、韓信はそれでも劉邦を裏切ろうとはしないので蒯徹は、後難を恐れて気が触れた変人へと変わり果てたのでした。※韓信の末路を考えるとここが最大の分岐ポイントであった

 

韓信が誘いに乗らないと知った項羽は、さらに焦ります。それを後押しするかの如く梁の彭越が楚の補給路を寸断し、山を挟んで対峙する劉邦軍も亀のようにその場に引き籠っています。そこで事態の深刻さを憂いた虞子期が項羽に怒られる事を覚悟の上で「劉邦の父親を劉邦の眼前で釜茹でにしてやりましょう」と提案します。案の定、気高いプライドを持つ項羽はその発言に激怒しますが虞子期も引き下がりません。そして、虞子期がこぼした「范増様ならきっとなさるはず・・・」との言葉に突き動かされた項羽がついに父親を劉邦の眼前で釜茹でにする事を決断したのでした。

 

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大ヒット作「項羽と劉邦 Kings War」 第67・68・69話を斬る

※目次

 

楚漢の激突編・・・。

 

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第67話 項羽の疑心

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※紀信
 

漢への内通を疑われた秦からの降将・司馬欣(シバキン)は、懸命に無実を訴え続けますが最後は項羽の親族である項荘に厳しく弾劾され、冤罪を被った無念を記録に残して失意の末に自害して果てます。また、記録に残した自身の想いも項羽の心には届かず、逆に司馬欣と同じく楚に降伏した元秦の兵士達にも劉邦内通への疑心を項羽に抱かせてしまう結果へと繋がってしまうのでした。

 

それは、元秦の将軍であった鐘離眜(ショウリバツ)や季布といった楚の重鎮達も例外ではありませんでした。そして、劉邦への内通を疑われ次々と処刑されていく元秦の兵士達。「今、我々の敵は漢の劉邦であるぞ!」と必死で声を荒げる鐘離眜の声も周囲には届きません。

 

やがて、項羽の疑心は亜父の范増にまで及び軍議を開いても項羽は范増を煙たがり、彼の意見を聞こうとはしませんでした。「項羽は、漢の離間の計に踊らされている。このままでは、まずい」と思った范増は、項羽の目を醒すためにも彼の幕舎へと赴きますが面会謝絶されてしまいます。それでも鐘離眜の静止を振り切り雪が降りしきる中、老体を引きずって項羽の面会を待つ范増でしたが・・・。

 

その頃、范増に個人的な恨みを持つ楚内部離間工作の首謀者である漢の陳平が楚の陣営へと潜り込み、楚の将軍・丁公と密会して黄金1万斤を渡して項羽と范増の中を割くよう働きかけ、楚から范増を追い出して無き者にしてやろうと画策していたのでした。

 

第68話 范増との別れ

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※周苛
 

結局、項羽とは面会出来ず根負けした范増は、項羽の幕舎を後にします。ところが翌日になって項羽が開いた軍議を今度は范増が欠席してしまうのです。長年、苦渋を共にしてきた両者による意地の張り合いがすでに始まっていたのでした。しかし、楚の未来を憂う范増は、一旦ここで平静に戻って項羽の軍議に参加するのですが現状は変わらず、自分の進言が採用されないどころか項荘と喧嘩をしてしまい、軍議を途中で退席してしまうのでした。

 

その後、范増を良しと思わない項荘は項羽に讒言を振りまき、さらに陳平に買収された丁公もそれを後押ししてきた為、ここに項羽と范増間の亀裂が決定的となってしまうのです。しばらくして「楚には、わしの居場所が無くなってしまった」と言って范増は、楚の陣営を去りその道中で病死してしまうのでした。范増を呼び戻そうとした虞子期も徒労に終わってしまいます。

 

范増の死を知った項羽は「取り返しの付かない事をしてしまった」と激しく号泣し、ようやく陳平の離間工作から目を醒まして鐘離眜や季布らに今までの非礼を謝罪し、范増の弔い合戦を決行したのでした。劉邦の企みで范増を失ってしまった事に激しく憤った項羽の軍の勢いは凄まじく、劉邦が籠る滎陽も落城寸前となってしまいます。そこで劉邦は滎陽から脱出する事を決断しますが、楚軍に包囲された状態から脱出するのは困難でした。そこで陳平が劉邦の身代わりを作って項羽の目を欺き、その間に劉邦が滎陽から脱出出来るように画策します。

 

第69話 漢王の身代わり

 

陳平は、劉邦の身代わりになれそうな人物を夏侯嬰(カコウエイ)に聞き出します。すると、夏侯嬰から「紀信という男が漢王(劉邦)とそっくりである。旗揚げ当初から付き従ってきているので信頼出来る」と言ってきたので紀信を劉邦の身代わりとして抜擢しました。さらに、旗揚げ当初から紀信と苦渋を共にしてきた周苛(シュウカ)という男も「紀信と共に滎陽に残りたい」と言ってきたのでそれも快諾します。

 

その後、自分の身代わりを作る事に戸惑う劉邦でしたが、紀信と面会してその人となりを見て、その忠誠心を感じ取って思わず号泣し、紀信の家族や友人の面倒を見る事を約束し自分の身代わりにする事を承諾したのでした。そして、迎えた脱出の時、紀信率いる偽漢王部隊は楚軍目掛けて突進します。「劉邦が滎陽から脱出しました」と報告を受けた項羽は、先回りして紀信を待ち伏せします。その隙に劉邦は、夏侯嬰と共に滎陽を脱出したのでした。

 

やがて自分の目の前に現れたのが劉邦の偽物だと知った項羽は、怒り狂って紀信を火あぶりにして処刑します。さらに、空となった滎陽を占拠して最後まで抵抗していた周苛を捕らえ、その忠義を惜しんで楚に仕えるよう促しますが、きっぱり断られてしまいます。「項羽に仕えるなら死んだ方がマシだ」と。何故、自分を捨て石にした劉邦のためにここまで命をはれるのか?項羽やその場にいた虞子期達には、到底理解出来ませんでした。

 

一方、項羽の元から逃げ延びた劉邦は、韓信の陣営へと辿り着きます。今まで劉邦が項羽に攻められてても救援には行かず、静観を貫いていた韓信達は劉邦の動向に固唾を呑みますが、劉邦からはとくにお咎めがなく兵2千を残して全て没収されるだけに終わるのでした。これから最大の難敵である斉の討伐を前に準備を進めていた韓信は、劉邦の言わるがままに兵を差し出し、残った2千の兵に対して大金を渡してそれぞれ故郷に帰らせ、渡したお金を使って「兵を搔き集めてこい!」と指示したのでした。

 

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