※目次
曹操の挙兵
陳宮という盟友と決別した曹操は、その後陳留で打倒董卓と自身の野望の為に挙兵します。ここで旗揚げ当初から付き従う事になる曹操一族の夏侯惇や夏侯淵、曹仁・曹洪兄弟といった優秀な人材達が、曹操をずっと支えていく事となります。
しかし、挙兵したばかりの曹操は弱小大名であり、己の力のみでは董卓に打ち勝つ事が出来ません。そこで各群雄達(袁紹や袁術等)に檄文を送り、共に董卓を倒そうと檄を飛ばしたのです。
反董卓連合の結成
この各群雄達に送られた檄文は、朝廷の詔を装ってましたが曹操が作ったモノでした。ただ、董卓の暴政は皆が知るところであり、この檄文には大義名分がある為、各群雄達は皆こぞってこの檄文に賛同しました。
この反董卓連合には、袁紹と袁術を始め江東の孫堅や曹操の後の宿敵となる劉備・関羽・張飛の3兄弟も参加する事となります。そして、連合には必ずトップが必要なので曹操は名門の出である袁紹を連合の盟主にしました。袁紹の袁家は、後漢時代に4代にわたって3公(大尉・司徒・司空)を輩出した家柄でありました。ちなみに袁術も同じく袁紹の遠い親戚になりこの優秀な先祖達と血は繋がっているといえます。
迎え撃つ董卓もこの反董卓連合の知らせを聞くやいなや大激怒し、勇将の華雄に先陣を切らせ汜水関を守らせます。反董卓連合も孫堅を先鋒に任じ汜水関を攻めさせます。戦闘開始当初は孫堅が優位に戦を進め勝利を確信した矢先、兵站を担当する袁術からの突然の供給拒否をきっかけに物資不足と混乱に陥ってしまい、華雄に敗れてしまいます。そして、勇将の華雄が連合軍の武将達を一騎打ちにて次々と沈め戦を優位に進めてはいましたが、関羽の登場で戦局が一変。華雄は関羽に一太刀で殺されてしまいます(史実では、華雄は孫堅に殺される)。
※実際の連合軍は、孫堅への物資の供給を拒否することからも分かるように、各々が抱えている野望や群雄達への偏見等もあってまとまりがなく、烏合の衆といっても過言ではない連合だった
そして、董卓軍は総崩れとなり汜水関を連合軍に制圧されてしまいます。その知らせを聞いた董卓は連合軍の強さに焦りを募らせ頼みの綱である「呂布」に全てを託し、第二の要塞である虎牢関に向かわせます。しかし、その呂布も劉備・関羽・張飛3兄弟の前に抑えられてしまい退却を余儀なくされます。
追い詰められた董卓は、知恵袋の李儒からの進言で洛陽から長安への「遷都」を決意し、洛陽を火の海にします。これにて漢王朝400年の歴史が詰まった都の洛陽が崩壊してしまう事となります。この火の海と化した洛陽を占拠した連合軍も曹操の独断による董卓への追撃や孫堅の玉璽強奪疑惑、連合にまとまりがないなどもあり、連合軍はこの時に瓦解してしまいます。
※追撃した曹操も李儒の罠にかかり、待ち伏せしてた徐栄に追い詰められましたが曹洪が必死に守ってくれた為、一命を取り留めた
そして、ここから群雄割拠の時代へと突入していきます。
董卓の暗殺
本国へ戻った曹操は、青州の黄巾族の残党(黄巾の乱)を討伐し降伏兵の中から選りすぐりの兵をまとめ「青州兵」と名付けて軍事力を強化したり、曹操の覇道を支え飛躍的に成長する礎を築いた荀彧・荀攸・郭嘉・程昱等の名参謀達が曹操陣営に加わったこともあって着々とその勢力を伸ばしていた頃、中華全土を揺るがす大事件が起きてしまいます。
192年呂布が董卓を誅殺する
董卓抹殺レジスタンスの代表である王允さんが絶世の美女である養女の「貂蝉」を使って董卓と呂布の間を引き裂いてしまいます。その名も「美女連環の計」です。
※貂蝉を董卓と呂布に嫁がせ2人に惚れさせて董卓には「呂布がひつこいから殺して」呂布には「董卓がひつこいから殺して」と2人を惑わせた
そして、貂蝉に過剰に惚れた呂布はこの策に陥り貂蝉をわが物にする為に、董卓を殺してしまいます。かつては、絶大な権力を誇った董卓も女一人で命を落とすことになったという。そして、王允は董卓を倒し朝廷に平和をもたらした最功労者になりましたがその平和も長続きはしませんでした。
董卓の残党の頭である李カクと郭汜が10万の兵を連れ長安に押し寄せてきたのです。当初は李カクも郭汜も拠り所が無いため、朝廷への帰順を求めていましたが、王允は配下の諫めを聞き入れずにこの要求を拒否してしまいます。李カクも郭汜も董卓ばりの残虐さがある事を王允は知っていたためとされます。そして進退窮まった李カクと郭汜は、拠り所が無いためもう長安を攻め取るしか選択肢が無いという決断に至り、長安を力づくで攻め取る事にしました。王允も呂布に迎撃を命じ応戦させましたが、この凄まじい決死隊の前にさすがの呂布も敗退を余儀なくされ、長安は陥落してしまいます。
結果、王允は処刑されてしまい呂布も貂蝉とわずかな仲間と共に長安を追われてしまいます。せっかく平和が訪れたと思った皇帝も董卓から李カクと郭汜に変わっただけで、地獄に逆戻りとなりました。
そして、この報に喜んだ曹操のもとにも悲報が届いてしまいます。親孝行をしようと思って、父曹嵩と一族を故郷から自分の国へ呼び寄せます。
しかし、その道中で・・・
陶謙によって父(曹嵩)が殺害される
陶謙は民や部下に優しく平和志向の君主として、徐州を治めておりましたが曹操には以前から一目置いており、曹操に近づきたいと思っていました。そして、曹操の父曹嵩が自分の国を通過していく事を知り、自国に招き手厚く接待し曹操に恩を売ろうと考えました。
そして、曹嵩の寝所を自身の兵で護衛させましたがその護衛を担当した兵士が元黄巾族の人間で曹嵩の所有していた金銀財宝に目が眩み、曹嵩を殺して財宝を強奪し逃亡してしまいます。陶謙としては、曹操に恩を売ろうと考えて曹嵩に近づこうとしましたが、それがこのような形で裏目に出てしまい、かえって曹操の恨みを買ってしまう形となったのです。運が悪かったとはいえ死んでしまったら、陶謙としては後戻りは出来ません。
ここから曹操の仇撃ちが始まる・・・
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