※目次
荊州牧・劉表と蔡瑁の陰謀
201年、劉表の元を訪れた劉備は劉表配下の蔡瑁から敵視されながらも、同族である劉備に心を寄せる劉表と息子の劉キの手によって対曹操の最前線に位置する新野の太守を任される事になります。そして、202年袁紹が死んだ事を契機に曹操が打倒袁氏に向けその矛先を北に向けていた事で、劉備と劉表にしばらく平和な時間が訪れる事になります。
そして、劉備は「家督は従来から長男が継ぐもの」とし劉キを進めており、劉表もその言に賛成した事により劉備はある人物らに妬まれる事になります。そのある人物らとは、劉表の妻であり劉ソウの母親でもある蔡夫人とその弟である蔡瑁でした。
よそから来てお家の事にまで口を出し始めた劉備を何としてでも消し去りたい姉と弟は、劉備を酒宴に招き殺害する計画を実行します。酒宴に招かれた劉備は、蔡夫人と蔡瑁の企みを事前に察知した劉キと伊籍によってその場を逃れる事になりますが、劉備の護衛を務めていた趙雲と離れ離れになってしまいます。
1人になった劉備は、執拗に追いかけてくる蔡瑁に追いつめられ、やがて逃げ延びた先の断崖絶壁な谷によって逃げ場を失い絶体絶命のピンチに陥ってしまいます。
水鏡先生と徐庶との出会い
劉備は賊の討伐で手に入れた愛馬(的盧)に「汝、我に仇成すか」と語りかけ、そのまま谷に向かって馬と共にダイブしてしまいます。この無茶苦茶な劉備の行動に、唖然とする蔡瑁はただ黙って見過ごすだけとなります。
※的盧は「主人に仇を成す馬だ」と劉備がこの馬を手に入れて間もない頃に、偶然劉備の前を通りかかった徐庶に言われそのまま立ち去られますが、劉備はその言葉を信じなかった。また、この徐庶が後に自分の軍師となる事もこの時は知る由もなかった
かろうじてこの難から逃れた劉備は、物思いにふけってしまいます。「旗を掲げて早25年。私は一体何をしているのだ」と悲嘆にくれる中、どこからか歌声が聞こえてきます。その歌声に惹かれ辿りついた先に、一軒の家があり訪ねてみると1人の老人がおりました。名は水鏡と申し巷では水鏡先生と親しまれているそうな。
一目見て只者ではないと直感した劉備は、そのまま水鏡の元で1晩甘える事にします。そして、劉備は自らの心境を水鏡に打ち明けます。
劉備「旗揚げして早25年。戦に挑めば敗れ身の置き所の無い有様。漢朝再興という大志を思うとただ悲嘆にくれるばかりで、胸が張り裂けてしまいそうです」
水鏡「それは、劉将軍の周りに良い人材がいないからです」
劉備「それは先生と言えど言葉が過ぎます。私には関羽・張飛・趙雲という万夫不当の豪傑がおりますので、決して人無しではありません」
水鏡「貴方はすぐそうやって部下を庇いなさる。確かにその3名は万夫不当の豪傑なれど、天下を股にかける方策を弄す事が出来ません。言うなれば劉将軍の翼は片翼しかない。武という片翼はあるが、文という片翼がないのです」
水鏡は、まだ話を続けます。
水鏡「臥龍か鳳雛のどちらかを配下に出来れば天下を安んずる事が出来る」と。
劉備「その臥龍と鳳雛とは誰の事ですか?」
水鏡「まぁそう焦らずに」と、一旦劉備を宥めたのでした。
この水鏡の言葉で劉備は、初めて気づかされ覚醒します。人材が大切さで何より軍師の大切さを。そこで、劉備は水鏡を自らの配下にしようと説得しますが、水鏡は「私はもう歳を取り過ぎた。私の数倍上を行く人間がいずれ貴方の力になってくれるはず」と言われ仕官を断られます。
そして、夜も更け床についた劉備が眠りにつこうとした時に水鏡の元へ来訪者が現れます。それが徐庶でした。徐庶は劉表に1度は仕官を求めましたが、劉表の大事より小事を重んずる性格や覇気の無さに嫌気がさし、仕官を取りやめ水鏡の元へ駆けつけてきたのでした。
賢者が現れたと直感した劉備は、すぐさま起き上がり徐庶と面会し、配下になってくれるように嘆願します。最初は戸惑った徐庶でありましたが、水鏡が後押した事により劉備への仕官を受け入れます。この水鏡と徐庶との出会いが劉備の人生にとって大きな転換期となるのです。
※ちなみに、この水鏡と徐庶との出会いは三国志の名場面ベスト10に入ると思います
曹仁の撃破と三顧の礼
206年、徐庶を迎え入れる事に成功した劉備は、趙雲とも合流を果たし新野に戻ります。一方、袁氏を滅ぼし河北を制圧した曹操は、次に劉備のいる荊州に狙いを定めます。そして、先鋒大将に曹仁・副将に李典を抜擢し3万の兵を与え劉備のいる新野を攻撃させます。
ここで軍師である徐庶が実力を存分に発揮します。曹仁の敷いた八門金鎖の陣を易々と破り曹仁を敗走させ、続く曹仁からの夜襲も見破って壊滅させます。そして、関羽に別動隊を編成させ空になった樊城を奪い劉備軍に大勝利をもたらしたのです。劉備はこの勝利に感激し「先生(徐庶)が私に、大きな自信を付けて下さりました。こんな大勝利は生まれて初めてです」と涙して言葉にしたそうです。
このシーンは私も思わず胸が熱くなり、もらい泣きしてしまいそうな良いシーンでした・・・。
ただ、この思いも虚しく劉備が絶望のどん底に陥ってしまう事件が起きてしまいます。曹仁の敗北を聞かされた曹操は「八門金鎖の陣が劉備に敗れるわけがない」と言葉にし、徐庶の存在が曹操に知られてしまうのでした。徐庶には、大きな弱点があったのです。それは、徐庶が大の親孝行者であり故郷が曹操の領土にあった為母親が曹操に捕らえられてしまうのです。
脅迫された徐庶は、普段の冷静な性格からは想像できないくらい混乱し、周りが見えなくなってしまい劉備に「母親の元へ行かして下さい」と嘆願してしまいます。劉備は必死に「先生しっかりして下さい!これは曹操の策略です。何か対策しましょう」と呼びかけますがテンパった徐庶は全く聞く耳持ちません。何を言っても無駄になった劉備は、あまりのショックに膝から崩れ落ちてしまいます。
そして徐庶と別れの日が来た時、あまりの惜しさに中々離れようとしない劉備を見て徐庶は「わが君、ここまでで大丈夫です。私はわが君に仕える事が出来た事を一生誇りに思います」と伝え劉備を諦めさせます。また、おいとまする代わりに劉備に最高のプレゼントを残していきます。
それは、臥龍・諸葛亮孔明の居場所を劉備に教えてあげたのです。徐庶に「孔明と私(徐庶)とでは月とスッポン。麒麟と駄馬程の違いがあります。古今稀に見る大天才でかの太公望や張良に匹敵する智謀の持ち主であり天下第一と言えましょう」と言われます。曹仁との戦でその実力をまざまざと見せつけられた徐庶ですら、月とスッポンと例えるくらいですから心が躍らない人はいないでしょう。
早速劉備は、関羽・張飛を引き連れ諸葛亮のいる隆中に向かいます。しかし、留守であった為引き返してしまいます。しばらくして諸葛亮が在宅しているとの報告を聞いて2度目の訪問をしましたが、居たのは弟の諸葛均であった為今度は置手紙を残しその場を立ち去ります。
冬を迎えた207年、再び諸葛亮在宅の報告を受けた劉備は3度目の訪問を実行します。これを三顧の礼といいます。諸葛亮が眠っていたので劉備は書斎の前で立ったまま諸葛亮が起きるまで待つことにしました。これに怒った張飛は「火をつけて叩き起こしてやる」と言いますが、関羽に静止されます。
しばらくすると諸葛亮が起き上がったので劉備は話しかけました。すると、諸葛亮に「その志をお聞きしたい」と問いかけられ劉備は自分の不甲斐なさと漢朝再興の夢を熱く語ります。諸葛亮は「曹操は勢い盛んで今は戦う時ではない。江東の孫権と結び荊州を治めた後、西蜀に侵攻し天下を3つに分け北伐を敢行すれば20年で天下を安んずる事が出来ます」といいます。
これを聞いて感銘を受けた劉備は、膝から落ち土下座して諸葛亮に仕官を促しますが、諸葛亮に断られます。感極まった劉備は涙ながらに「私が不甲斐ないばかりに、天下の民衆の涙と叫びが伝わってくるようです」と言った事で諸葛亮の眠っていた龍の心を呼び覚ます事になるのです。
諸葛亮は「微力ながら将軍のお力になりましょう」と答え劉備からの仕官を受け入れます。
水鏡が言っていた臥龍を味方にしたら天下を安んじられると言われたこの諸葛亮を配下に加えた事で、劉備の快進撃はここから始まるのです( ゚Д゚)
※蜀編「劉備」の前記事
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