content="width=device-width, initial-scale=1">ice-width">

色んなアンサー

筆者であるnaoraouが色んな分野に挑戦し、私なりの答えを出していくブログです!

映画「関ケ原」の見どころ

※目次

 

前回紹介した「追憶」に続いて、岡田准一が主役を務める映

となります。こちらの作品は、日本人ならばほとんどの人

がご存知だと思われる「関ケ原の戦い」を描いた物語となっ

ております。ゆえに結果をご存知の方もほとんどでしょう。

なのでそれをどのように表現しているのかに着目したら良い

と思われます。

 

歴史を振り返っても様々な憶測が飛び交うこの戦い・・・。

 

1つだけ確かなのは、石田三成が敗れ徳川家康の時代が到来

したという事です。

 

f:id:naoraou:20180922214606j:plain


石田三成を演じるは、岡田准一

そして徳川家康を演じるは、名俳優の役所広司

 

今になってもその生き方に賛否両論が分かれる石田三成

んな顔を持つとされる戦国時代最後の切れ者である徳川家康

この2人はどのように表現するのか?非常に興味深い作品

となっております。

 

※1部ネタバレ有り

 

三成に過ぎたる者「島左近」「初芽」との出会い

 

ある寺で秀吉(滝藤賢一)に差し出した「3度の茶」によっ

てその才覚を認められ、秀吉に仕える事となった三成(岡田

准一)はやがて豊臣5大老に次ぐ5奉行にまで出世し、豊臣

の国政を司る事となります。しかし、人間付き合いの下手な

三成は家中での敵対勢力も少なからず存在していました。

 

f:id:naoraou:20180922215047j:plain

 

そこで「武芸の達人ではない」「戦の経験がほとんど無い」

三成にとって「武」という柱の存在が必要不可欠でありまし

た。そんな三成に運命の出会いが訪れます。それは「武」

達人である島左近(平岳大)と伊賀のくノ一忍者初芽(有村

架純)と出会った事です。

 

豊臣秀次が自決しその一族郎党も連座の罪で処刑された京都

六条河原。そこでの出会いでした。以前から浪人であった左

近に目を付けていた三成は、これを好機とし左近の元へ何度

も訪れ己の知行の半分と引き換えに召し抱えたのでした。

これは後に「三成に過ぎたるモノが2つあり。島の左近と佐

和山の城」という故事を残す事となります。

 

また、くノ一忍者である初芽は三成によって処刑を免れた事

がきっかけで、以後三成の「犬」として主に情報戦で活躍し

ていく事になるのでした。

 

f:id:naoraou:20180922215111j:plain

豊臣秀吉の死と前田利家の死

 

朝鮮戦争がきっかけで留守を預かっていた三成を中心とする

文治派と前線で戦った加藤清正・福島正則を中心とする武断

派で対立が深まってしまいます。また、戦争が失敗に終わり

国力も大いに損なわれ、それと並行するかの如く秀吉の老衰

が加速化してしまいます。

 

そして、1598年関白・豊臣秀吉が逝去

 

f:id:naoraou:20180922215146j:plain

 

秀吉に息子秀頼の事と後事を託されたのは、徳川家康(役所

広司)を筆頭とする5大老と石田三成を筆頭とする5奉行

した。

しかし家康に「二心あり」と睨む三成は、家康に匹敵するく

らいの力があり5大老の1人で大納言でもある前田利家(西

岡徳馬)に近づき家康を牽制しようと画策しますが・・・。

 

その前田利家が秀吉の後を追うかのように死んでしまうので

。利家の死で自分を邪魔する勢力が無くなった家康は、

こから本性を現していく事となります。

 

武断派達による石田三成襲撃事件

 

利家の死を境に家康は、着々と豊臣恩顧の勢力(加藤清正や

福島正則等)に外交を仕掛け友好を深めていき自分の勢力に

取り込んでいきます。そんな家康を良しとしない三成は、そ

れを阻止しようとしますが、うまくいきませんでした。

 

そして、以前から敵対していた加藤清正・福島正則ら武断派

7人衆に襲撃されてしまいます。初芽の活躍により事前に襲

撃の報せを知った三成はここで1計を弄し徳川家康の屋敷に

逃げる事を思いつきます。

 

※初芽はその後大谷吉継の元へ使いとして向かったがその帰

 り道に家康に属する忍者集団に襲撃され拉致されてしまっ

 た事により、三成と離れ離れになってしまう

 

「自分が殺されては計画が頓挫する為、匿ってくれるに違い

ない」と予測した三成の思惑通り、政敵の急な訪問に戸惑っ

た家康は三成を匿い7人衆を黙らせたのでした。

 

決戦の地・関ケ原に向けて

 

三成は、家康の声がかかっていない残存勢力(5大老の毛利

家・宇喜多家・上杉家)と共謀し「打倒家康」に向けて準備

を始めていました。またこの頃、上杉家筆頭家老の直江兼続

(松山ケンイチ)と対面し家康を東と西で挟み撃ちにする作

戦を計画します。

 

f:id:naoraou:20180922215214j:plain

 

自国の会津に戻った直江兼続は後世に残る「直江状」と呼ば

れる名文(家康を弾劾)を家康の元へ送り付け、引き付ける

事に成功します。そして兼続の挑発に乗った家康は、上杉家

討伐に向け出兵します。

 

「家康が上杉家討伐に向け出兵した」との報告を受けた三成

は、決戦の地を「関ケ原」に定め片腕の大谷吉継と共に毛利

輝元を総大将として「打倒徳川」兵を起こしたのでした。

 

時にして、1600年の秋に差し掛かった9月15日

 

両雄激突す( ゚Д゚)

 

※余談

各大名達のパイプ役であり、唯一秀吉に意見出来た男・豊臣

秀長(豊臣秀吉の異母弟)が秀吉より先立たず、秀頼の後見

を担っておれば家康が天下を取る事も叶わなかったのかもし

れません。さらに言えば朝鮮戦争ですら回避出来ていた可能

性もあります。まあ少なくても文治派と武断派の分裂は無か

ったでしょう。

 

豊臣の運命を決定付ける関ケ原の敗戦の1番の要因は、豊臣

対徳川ではなく石田対徳川になった事だと思います( ゚Д゚)