※目次
パート3の記事では、ついに劉備が念願の西蜀制覇へと突き進んだところで締めくくりました。
宿敵・曹操の猛攻を凌ぎながらも着々とその勢力を広げていく劉備。
しかし、ここにきて今まで耐え凌いできた新野がとうとう曹操の手によって奪われてしまうのでした。一体、劉備の身に何が⁉
それでは、引き続きパート4をお楽しみ下さい( ゚Д゚)
新野を手放さなかった理由
前回のパート3で新野を手放さなかった理由の1つとして「君主の爵位を得るためである」と伝えましたが、実はもう一つあるんです。しかも、こっちの方がより重要であるかも。
そのもう1つの理由とは、盟友の孫権が非常に弱い(AIの質が低い)という事です。その弱さときたら、そのまま何もせずに放っておくとあっさりと曹操の手によって滅ぼされてしまうほどです。孫権が滅んでしまうとここから先は実際試したわけではないのですが、孫権の領土である盧江や柴桑などが曹操の手に渡ってしまう事となり、今まで曹操と隣接していた国が新野だけであったモノが荊州のほぼ全土が曹操と隣接してしまう事となるのです。
そうなると劉備の国力と武将の数ですべてに注力する事は、ほぼ不可能となります。仮に孫権を滅ぼして優秀な武将達を奪ってしまえば良いといった考え方もありますが、曹操の攻撃を防ぐだけでも手一杯なのに孫権まで手を回している余裕がまず無いです。
そこで私が取った行動とは⁉
孫権に援軍を送る
このゲームは、同盟国に「攻撃要請」が出来ても「援軍要請」は出来ません。逆も同じです。したがって同盟国が第3国から攻められているとそのまま黙って傍観してるか第3国が同盟国から奪った領地にこちらが攻め込むかが主流となってきます。そこで私は最悪のケース(ほぼ荊州全土が曹操と隣接)を避けるため、江夏の東にある孫権の領土の1つ・盧江へ援軍を送り続けました。
当初は、こちらが援軍に派遣した黄忠軍と孫権配下の陸遜軍が共闘して曹操軍の進撃を防いでいたのですが、ここはさすがの曹操・・・。圧倒的な国力を活かしてジリジリと我々を追いつめてきます。挙句の果てには、盧江の兵糧不足。これぞ痛恨の極み‼
建業にたくさんある兵糧を何故盧江に輸送しないんだ⁉盧江が度重なる曹操からの攻撃を受けて陥落寸前なのに何故建業からは援軍が送られてこないんだ⁉
これが孫権が弱いと言われる現状(ちなみに、他の君主でも同じ)です。
盧江陥落
そんな事もあってついに盧江が陥落しました。送り続けた援軍も虚しく・・・。
しかし、曹操は攻撃の手を緩めません。その勢いで盧江のさらに南方に位置する孫権領の柴桑へと攻め込んだのです。まさしく予想した通りの内容でした。そこで私は、最悪のケースを免れるためにも思い切ってある決断をしました。
それは、盧江を曹操から奪取して柴桑を孤立させてしまおうと。盧江は、孫権の手で守るよりかは私が守った方が良いと。孫権は、建業でひたすら北から押し寄せてくる曹操軍を防ぎ続けてろと・・・。
守る国が1つだけとなれば孫権も守り易いのではないかと思ったので。こうして、しばらくは江東の地が落ち着く事に。ただ・・・
新野陥落
もう、無理でした(-_-;)
曹操の第一波・第二波までは、新野・襄陽・江陵・江夏の総力で防ぐ事は可能でした。しかし、曹操の攻撃は止みません。次から次へと向かってきます。特に曹操の背後を脅かしていた北の馬騰と公孫康が滅ぼされてしまうと曹操の全兵力のほとんどが南に集結してくるので要注意です。
新野を捨てた私は、襄陽と江夏と盧江で曹操の襲撃に備える事としました。襄陽は新野との国境にある河を利用して劉備や李厳、蜀からの投降者である呉懿らによる雁行部隊で応戦、江夏は関羽・張飛・趙雲らによる陸戦最強部隊で新野との陸路で応戦、盧江は黄忠・魏延といったベテランと関興や張苞らといった若手と組ませ、北(寿春)からの攻撃に備えさせる事に。
これが見事に的中し、曹操軍を全く寄せ付けません。完全なる防衛網が出来上がった瞬間でした。
最後に言い訳になってしまうかもですが、ゲームを開始してから何度も曹操軍の進撃を防ぎ続けていた私は、曹操から降ってきた莫大な数の負傷兵を擁しておりました。すなわち、いつでも北上して曹操領(宛や許昌など)に攻め入る事が可能だったのです。
何故そうしなかったかというと史実(荊州と西蜀に手を伸ばす)に拘りたかったからです。それと曹操から捕縛した武将は、登用以外すべて捕虜(やがて脱走か返還)にしておりました。すぐに殺してしまうとゲームが面白くなくなってしまう恐れがあったからです。もし、曹操軍の攻撃が辛いと感じた時は、捕らえた武将を迷わず斬っていくと楽になりますよ。
今回は、以上となります。
最後まで御覧頂き、とても感謝しております<(_ _)>
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